シエル先輩が所有を許されている概念武装。別に対ロア限定のシロモノというわけではなく、ロアに限らず霊的ポテンシャルの高い存在に対しては高い攻撃力を持つ。まともに攻撃を受ければ魂そのものが霧散してしまうらしい。
転生を否定する教会が作り上げた転生批判の外典で、完結した数字である完全数を名に冠する理由もそれゆえ。その本体(?)は摂理の鍵として利用している一角馬の角で、表面に転生批判の文句がびっしり書き込まれてるとか。
およそ千年前、幻想種である一角馬が臨終した際にその「角」の自然霊と人身御供とされた人間の少女の霊を融合させる事によって誕生。融合した霊は守護精霊となって宿っており、セブンと呼ばれる(有彦はななこと命名)。彼女曰く、マスターは代々女性であったようだ。半分一角馬だからだろうか?
元々は儀礼の「締め」として用いられていたが、やがて武器として使用されるようになる。はじめは槍とか杭としてであったのだが、やがて兵器の近代化にあわせて銃剣へとカタチを変える。……しかしこの段階まではまだ聖典としての威厳みたいな物は残っていたらしい。が、今はシエル先輩の趣味でパイルバンカーへと改造されてしまっている。
第七聖典制御刻印(だいななせいてんせいぎょこくいん) |
多分、名前の通りのシロモノであると思われる。具体的にはシエル先輩の体に刻まれた、翼だとか十字架だとかで構成された模様の事を指しているらしい。
というか、多分大抵の人はそうではないかと予想していただろうと思われるものの、そうだと断定できる情報ソースが存在していなかったわけですが、TECH
GIAN2003年12月号の付録であるTYPE-MOON応援本に掲載されていた資料によってそうである事が発覚。
なお、この資料からだと全身の物を指して言うのか、背中の物だけを指して言うのかはちょっと判断がつかないと思われるかもしれませんが、翼の絵は全部で七つ描かれていると補足説明がなされている事から恐らく前者の方が正しいのではないかと推測。ちなみに刺青ではなくてペイントらしい。
少なくとも日本においては、
(1)自然の歪み(魔)を修正する者。或いは者達。
(2)人が人の社会を守るために練り上げた法術系統。
(3)退魔組織。
(1)、(2)である理由から人を害するには向いておらず、人としての側面をも持つ混血が敵となった場合は後手にまわることになる。
七夜も退魔の一族とされていたあたり法術使いでなければならないという事はなく、文字通り魔を退けるモノであれば皆退魔なのではないかと思われる。
名前の通り退魔をなす者達が属する組織。少なくとも日本においては人が人の社会を守るために作り上げた組織であるがゆえに人を害するには向いておらず、人としての側面をも持つ混血が敵となった場合は後手にまわることになる。
独自の魔術系統を有するが魔術協会とは相容れないらしく、協会にせよ教会にせよ日本において自由に活動する事はできない。許可を得て実際に活動できるようになるまで1週間近くかかるらしい。
(1)自然から略奪していく人間から自身を守るために、世界が自然と乖離した形で生み出した触覚。一般に神霊、精霊と呼ばれる者達。
(2)知性を持ち、生命として人間よりも優れた種。
シエル先輩の説明に出てきたものは主に(1)の方を指していたと思われる。真祖などはこちら。狭義の超越種と言ったところだろうか。
ロアの回想によれば死徒も一般的には超越種として扱われているようである。ただし死徒は超越種と称するには欠陥品であるかのように彼は述べていた。ならばこちらは広義の超越種とでも言うべきか。
よって広義の超越種の条件としては(2)のような内容が妥当だろうと思う。厳密に言うと(1)の意味の方が正確であるような気がする。死徒はいわば"自称"超越種だからである。
脳内において開いている、常人が使用しているモノとは別の回線によって発動する能力で、基本的には先天的・偶発的に発現する一代限りのモノ。ヒトの無意識が生み出したヒトにあだなすモノ達に対する抑止力。
現在のところその能力の性能自体は自然干渉法には及ばない。しかしその規則にはそぐわない。
超能力を持って生まれた人間。超能力は自然干渉法とは別物であるが故に彼等は魔術回路を用いずとも超常現象を起こす事が可能である。
しかし超能力を発動させる回線は社会に適応するために必要な常識・思考様式等を備えていない。そのため社会不適応者となりやすい。大抵の超能力者は回線を切り替える事によってうまく社会に溶け込んでいる。
性能自体は自然干渉法に及ばないが、その規則にはそぐわないという超能力の特徴を利用し、過去に退魔によって混血との闘争の際、しばしば相手の隙を作るために使い捨ての駒とされた。
万物は何らかの要因によっていずれ死に至る事が誕生した時から既に定められている。この、はじまりから既に内包する"死"を視覚情報として捉える事のできる魔眼の事。
いわば見るというよりはその存在の因果の連鎖の終端、つまりは「誕生」という大元の原因から最終的に発生する事が定まっている「死」という結果を「読み取っている」という表現の方が近いと思われる。
眼球のみによらず、先天的に持って生まれた特別な回線が根源へと繋がる事によって、モノの死を理解する事が可能となった脳髄とセットで成り立つ能力。故に超能力として分類されるのかもしれない。
志貴の場合、一度死を体験する事によって回線が根源に繋がった。
"死"は、具体的には点と線として視える。
線:
モノの死にやすい部分。線に沿って切る事によってその個所を死に至らしめる事ができ、本体の生死いかんによらず動く事も治癒・再生も不可能となる。
切る際にはホトンド腕力を必要としない。対象の強度に関係なく切断可能。鉄だろうとなんだろうと、線の視える場所であれば軽がると切断できる。
点:
モノの死そのもの。突くとそのモノ(本体)は死ぬ。こちらも突く際には腕力を必要とせず、対象の強度も無視される。
線を流している根源でもあり、能力が高まっている時や、極度に集中している時でないと視る事は出来ない。
モノは通常、死に至らしめる要因が発生し、それによって死ぬ。しかし直死の場合は逆で、いわば万物がはじまりから内包している死を、線・点への干渉によって強制的に発現させるものであると思われる。
この場合の「死」とは生命活動の停止ではなく意味的な死である為、即座に活動を停止する。よって普通の攻撃と違い先に攻撃を成功させてしまえば反撃を受ける心配は基本的に無い。
意味の死であるが故に、死に至らしめる事が可能なのは生物に限らない。生命活動を行っていようといまいとこの世界の中で意味を持って存在しているモノである限り、あらゆるモノを死に至らしめる事が可能。
死者ですらも「死者」としての意味を持ち、直死の前にはいわば「生きた死者」であるが故に殺す事が可能。この辺りがアルクェイドをして志貴をバケモノと言わしめる所以と言える。
しかしそのアルクェイドは夜であれば世界からのバックアップによって死の要因がまるで無くなってしまう為、流石にその死を視る事はできない。
どうやら死を視る事のできる対象の限界はその時代の人間の限界に比例する模様。
また、生物である志貴は同じ生物の死を理解できるが、非生物の死は理解し難いためハッキリとその死を視る事は出来ない。
これらのように自身の限界を超えたモノ、理解し難いモノの死を無理をして視ようとすると、脳神経にかかる過剰な負荷によって最悪の場合廃人となる事もありうる。
非常にレアな能力であり、長い時を生きた吸血鬼達にすら実在する能力であるとは思われていなかったようである。
シエル先輩がよく使用する埋葬機関秘伝の投擲技法で、当たると相手をすっ飛ばす。魔術ではなく体術に属するものなのだが、魔術的アプローチによって衝突時の衝撃を増幅しているのだとアルクェイドが勘違いしてしまうほどに威力がある。
遠野家の分家筋のひとつ。
骨師と呼ばれ、自らの骨を刀として鍛える一族。
普段は鉄で刀を鍛えるが、相応しいとみなした相手には自らの腕を差し出しその骨をもって骨刀を作る。
七夜家とは七夜黄理の先代から付き合いがあった。
歌月トークでも述べたが七夜の武器の中には刀崎製のものが含まれている可能性も…?
…あったら面白いんだけど。
志貴が戻る以前、刀崎家の三女とその婚約者が3年ほど遠野の屋敷に逗留していた。
遥か昔に鬼種と交わった混血の末裔。
本編の舞台となった地域に根を張る人でないモノとの「混血」達の宗主。
遠野家が宗主となっている理由は最も尊い血を引いているという事。
遠野もその分家もかなりの資産家であり、財閥めいた一大グループを形成している。
分家筋に久我峰・刀崎・軋間・有間などが存在する。
|
|