ひぐらしのく頃に
祭囃し編メモ

 ※新規に追加された、或いは更新された箇所は赤字表記しています

 ■鷹野さんの過去
 普通の人生を歩んできた人じゃなさそうだなと思っていましたが、その通り。
 前作では祖父の教えへの妄信が鷹野さんの行動の根底にあるのではないかというあたりをなんとなく察する事が出来るくらいでしたが、何故そのようになったかを補足する役割にあるのがこの序盤部分だという事になるのだろう。
 ところでふと、施設を脱走するあたりで詩音の境遇とかぶるような気がしましたが、意図的にそうしたんだろうか?
 監獄のような場所に閉じ込められて、一番好きな人間の為に暴走するというあたりまで似ているような。

 ■無い事の証明
 ある事は存在例がひとつでもあればいい。
 無い事は世界の何処にも無い事を証明しなくてはならない。
 ある事の証明は世界全てを探さずともひとつの存在例さえ見つけてしまえばその時点で成しえる。
 無い事の証明は世界全てを見通す手段が必要。だが人間にそれは不可能。そういう理屈だろうか。

 ■鷹野さんと惨劇の執行者の共通点
 ・孤独
 ・他人の意見を受け入れない(他の惨劇の執行者たちは疑心暗鬼の結果として、そして鷹野さんは自説の妄信の結果として?)

 ■前回鷹野さんに敗北した理由
 勝ち得た組織力の違いが大きかったとも言えるのかなあ。鷹野さんは強大な権力を有する老人たちの協力を得る為に相応の苦労をしている。何もせず圭一たち以上の組織力を得たわけではなかったのであった。

 ■ひぐらしの世界における盧溝橋事件の真相
 雛見沢出身者の行動が発端となり、連鎖反応的に起こった一連の出来事がやがて歴史を左右するほどの規模となる。
 まるで罪滅し編のレナの行動が発端となった騒動の規模を更に拡大したような話だなと。

 ■田無美代子
 無=0という事だろうか。
 0+3+4で計7。
 名前にちょっと数字的なニュアンスが含まれる、或いはまんま数字が入っていて、しかもその合計が七になるキャラが多いが、鷹野さんの本名の方もそうだった事になると言えるのかも知れない。

 ■「助けてください」
 高野先生への電話でのこの言葉。これがあったから鷹野さんは後に救われる事になった。
 そういえば沙都子が救われるのに必要なのもそれだった。奇しくも電話でというシチュエーションまで一緒。

 ■サイコロの目
 良い目が出る事を待つだけであった時期が長く続いていた梨花。
 「ひぐらしのなく頃に」の物語開始に至る段階までには神が振るサイコロなどアテすらせず、人と人との繋がりからなる力を勝ち得ていた鷹野さん。
 両者のこの違いもまた前回の勝敗を分けた要因であったとも言えるのかもしれない。

 ■ゲームシステム
 双方宣戦布告し、本格的に祭囃し編が始まる。
 そしてカケラをつむぐ作業へと……なるほど、選択肢が存在しなく、TIPSが散りばめられたこのシリーズのカタチがこういったゲームシステムに辿り着くわけですか。面白い。

 ■神主さんの印象
 これまでの作品から得られた印象だと随分と頼りないという感じだったが、今作での印象は結構柔軟な思考ができて、様々な物事に対して理解を示す事が出来る人、という気がしますね。中庸、という言い方がしっくりくるだろうか。
 かといって頼りないという印象は完全な誤りというわけでもないかもしれない。ただ多少そういった側面もあるというだけで……なんというかそれは強烈なリーダーシップを発揮して周囲をぐいぐいひっぱるタイプではないと言うことなんじゃないかと思う。
 あくまで得手不得手の問題であって、こういった中庸な姿勢から物事を冷静に見ている人物は、集団の中では非常に重要な存在であると思う。その集団の意見が偏って暴走しないよう、客観的な意見を以ってブレーキ役として機能してくれる筈なのだから。
 ただ、不運な事に鬼ヶ淵死守同盟においてはアクセルの方が強烈過ぎたというべきだろうか。

 ■白川公園転落事故の真相
 ここの一番下での推測は概ね合っていたみたいですね。

 ■小泉のおじいちゃん
 彼の死に関しては鷹野さんは本当に涙を流していた。
 他人の命をなんとも思わないかのような彼女だが、自分が心を開いた、家族のような相手にだけはそうではなかったという事になる。
 また、彼は高野先生にとっての鷹野さんのような後継者が欲しかった、というような事を言っている。もしもそんな後継者が存在していたのなら、彼の死によって鷹野さんへの追い風が向かい風に転じる事も無かったのかもしれない。
 前述の彼の言動はさりげに後の展開への伏線だったのかもしれないなと思った。

 ■寄生虫という研究分野
 伏線といえば、大学時代の鷹野さんが寄生虫に関して研究しようというくだりに関して、人気の無い分野であるという事が述べられていた。
 これも鷹野さんへの「向かい風」に関する伏線だったといえるのかもしれないですね。

 >雛見沢症候群に興味のない人間から見れば、気持ちの悪い寄生虫の研究に、なぜこんな莫大な予算を投じるのか理解できないだろう。

 引用した上記の文章を読んで、そんな風に思いました。

 ■集団の力
 小泉先生は自分の権力を以って強引に入江機関を後押ししていた。つまり、本当の意味では集団の力ではない。
 複数の人間を動かしているのだから集団の力といえばそうなのだが、それをよく思わない勢力の理解を得ようとしなかった事が失敗といえば失敗だった。
 鷹野さんを窮地に追い込んだのは、小泉先生が自分の力を過信してしまったがゆえであったとも言えるのかもしれない。

 ■立ち聞きしていた鷹野さん
 入江機関の新たなスポンサーとなったお偉いさんたちへの説明後、彼らの会話を立ち聞きしていた鷹野さん。
 なんとなく、圭一と大石さんの電話を聞いていたレナに重なるような気がする。やっぱり竜騎士さんは意図的にそう書いているんだろうか?

 ■助けを求めなかったから
 逆境に自分の力だけでどうにかしようと足掻いた結果暴走した鷹野さん。これまた他のシナリオでの惨劇の執行者達と同じである。

 ■赤坂さんの推理と鷹野さんの状況
 私的捜査ファイルにおいての、実は雛見沢はダム戦争には勝ったが宗教的に見た場合負けていたのではないかという赤坂さんの推測。それを鷹野さんの状況に当てはめると妙にしっくりくる気がする。

 ■クールになれ、鷹野三四
 なんとなく予想はしていましたが、やっぱり鷹野さんもクールになった(笑)

 ■鷹野さんと小此木、祟りの執行者と大石さん
 両者の関係はなんとなく似ている気がしますね。間違った方向へと暴走する者と、結果的にそちらへと誘導してしまっていた協力者。
 かといって鷹野さんが神主夫妻の意見転換という難局を乗り越えるにあたって最適の相談者が他にいたかというと疑問でもある。
 そもそも何が失策であったのかというと、雛見沢において理想的な人間関係を気付けなかったという事であったと言えるだろう。

 ■日和見主義者というレッテル
 神主さんがどういう人物であったかに関してはこれまでは直接的には描かれなかったに等しいので、北条家に対してきつく当たる風潮をよしとしていなかったのではないかという解釈もありうるのではないかとは考えていましたが、実際その通りだったわけだ。
 加えて彼は入江機関との接触があったから、ダム計画自体がなくなることを知っていた数少ない村人の一人だったわけですね。日和見主義者であるという烙印をおされる要因としては、それを知っているが故の「ダム計画はそのうち無くなるだろう」という発言が特に大きかったと見られる。
 よくよく考えてみれば、保護者である神主さん夫妻が健在である頃からずっと入江機関の研究に梨花が協力していたのなら、それを保護者が知らないと考えるのは不自然だ。なら、神主夫妻がそういった裏の事情まで知らされていてもおかしくはない。なるほど、ここまではちょっと想像していませんでした。

 ■梨花の母の遺書
 私的捜査ファイルによると、大石さんは娘である梨花の事に触れていない点が母親の遺書にしては不自然だと指摘していた。
 私はこの頃には暇潰し編のTIPSから読み取れる梨花の母の梨花への不信感からそれは無理からぬことかもしれないと考えていた。だが実際にはそういうことではなく、この遺書自体がニセモノであったが故なのだろう。
 事実今回のシナリオで明らかにされているように、梨花の母は梨花を案じているが故に入江機関との確執を生じさせている。本当に梨花の母が遺書を書いたのなら、そこで梨花の事に触れていない方が実際には不自然だったという事になるのだろう。

 ■寿命による世代交代か、意見交換を経ての世代交代か
 寿命による世代交代の例が小泉先生の死による政変。
 意見交換を経ての世代交代は皆殺し編の圭一の例だと思う。
 お魎さん当初前者を望んでいたが、それには実際作中にあるように好ましくない方向へ流れる事だってある。前世代はまったく与り知らぬ方向へ進むわけだから。
 せめて新たな風を吹き込む若者が現れる可能性を、と考えたお魎さんの方針転換は正しかったと思う。

 ■第一の祟りの真相
 暇潰し編メモの一番最初に書いた事は、かなり良いセン突いていた気がします。
 恐らくは雛見沢で長期間作業をしていたが故に既に感染していた監督及び作業員たち。
 ダム戦争時のダム現場における非常に精神的不可の大きい環境。
 これが下地となって、事件当日の酒盛りがほんの些細な出来事でありながら引き金となってしまったのだろう。

 ■園崎家と北条家の間違い
 両家が対立するキッカケとなった出来事を描いたカケラについて。間違いは無論、怒りに任せて暴言をはきあったこと。
 「ひぐらしのなく頃に」のここまでのシナリオを読んできた人なら、それがそもそもの間違いであった事はすぐにわかるでしょう。
 もしも両者が自分の立場から来る意見を誤解のないよう伝え、相手の意見もきちんと理解するよう慎重に冷静に言葉を交し合っていれば、あのような事にはならなかった可能性だってあると思う。
 ……しかし、それを出来なくしたのが雛見沢症候群であったという事になるのだろうか。

 ■異なるタイプの末期症状
 雛見沢症候群の末期症状はご存知の通り錯乱するタイプのものと、沙都子のように内に狂気を秘めつつ外面的にはそれを隠してしまえるタイプがあるようだ。
 前者をA、後者をBとすると……

 A:ダム現場の監督、第一の犠牲者(バラバラ殺人事件の主犯)、富竹さん
 B:圭一、悟史、詩音、レナ、沙都子


 こんな感じになりますかね。圭一や悟史もどっちかというとBに近いような気がしたので。
 特に圭一に関しては、祟殺し編で沙都子への虐待に完全にキレた時の描写を見るに、狂っていながらもそのわりに冷静に行動できていたようにも思える。錯乱状態とは明らかに違う。そして足音が聞こえていたから重度の発症をしていたのは確か。
 ただ取り敢えず現時点の印象でなんとなく分けてみただけなので、後で改めて検証しなおして意見を変える可能性はあります。

 ■大きくって自転車に積めない
 例の誕生日プレゼントに悟史が買ったぬいぐるみ。
 詩音は失踪当日の悟史の行動を必死に推理していましたが、ぬいぐるみの大きさと入江先生の事を両方とも知っていたのに、悟史が入江先生に車を回してもらう可能性に思い至らなかったのは痛恨のミスだったと言えるのかもしれない。或いはとっくにあの時点で冷静さを失っていたが故だろうか。

 そういえばその目明し編での以下の詩音の推測。

 > あのぬいぐるみは、かなり大きい。
 >
 > 自転車の前カゴになど納まるはずもない。
 > だとしたら、…ビニール紐でも持参して、自転車の荷台に縛り、よろよろと走るのがせいぜいだ。


 この最後の部分にすっかり流されて、入江先生の事はずっと怪しいと思っていたにも拘らず私も悟史失踪時の真相について推測できずにいました。不覚。

 つまり、詩音は悟史の事をうっかり者だとは思っていたようだけど、実際にはそれ以上にうっかりものであったという事になるのだろうか。
 ……或いは末期発症の影響で判断力が低下していたという可能性も考えられるかも?
 そうであれば「詩音が知る正常な悟史」ならばビニール紐を持参するといった程度の対策は事前に考え付いた。そして詩音は「その悟史」を前提に推理していたから真相に辿り着けなかった、という解釈も或いは可能だろうか。

 ■四年目の祟りの真犯人?
 あら、入江先生の車の中で悟史が自分で明かしちゃってますね。やっぱり犯人は悟史で良いのだろうか。それともそれ自体が悟史の妄想なのか。
 うーん、実際に悟史が犯人であったとする場合、現場に犯人の痕跡が見出せなかった点が気になるのですが。

 ■暇潰し編では雛見沢に来ていなかったっぽい圭一
 暇潰し編終盤の赤坂さんと大石さんとの会話には圭一の名がまるで出てこない。なのでもしかしたら前原一家はこの世界においては雛見沢にはやってきていなかったのではないか、というような推測をどこかで書いた気がします。
 もしかしたらそういった世界においては梨花が試行錯誤の途中だったため、前原一家が雛見沢にやってくる為に必要な行動をまだ見出せていなかったという可能性が考えられるかもしれない。

 ■鷹野さんの敵
 雨の夜、高級車に乗って現れた女によって、鷹野さんは自身の本当の目的を気付かされた。
 つまり、鷹野さんは自分の敵を明確に定義できていなかったから目的達成への遠回りをしていた事になるということだろうか。

 ■小泉派の女
 なんだこの人。なんでそんなに詳しいんだろう?
 まるで梨花のような存在だと思ったが……それは穿ちすぎだろうか?

 ■結果論だが悟史の失踪も必要な事だった
 この出来事による影響が巡り巡ってお魎さんが園崎の土地を外部に売り出すという行動に繋がる事になり、前原一家が雛見沢へ来られるようになる。塞翁が馬ですね。

 ■確定していない最後のカケラ
 最後のカケラを駒が揃っていない状態で見るのはこわいというあの不思議世界での語り手。
 そういえば涼宮ハルヒ関連の考察にて、ある考察について奇しくも似たような例え話を用いようとしていた事がありました。そちらに関してはいずれ。

 ■拳だっけ膝だっけ?
 成長した赤坂さんとかぁいいモードのレナとの対決が見てみたい(笑)
 しかし赤坂さん、雛見沢を訪れて以降様々な修羅場を潜り抜けて成長したとは知っていましたが、これほどとは。単独で集団を制圧するような人間兵器にまでなっているとは思いませんでした。
 一番驚いたのは一撃必殺を実現している事でしょうかね。修羅場慣れして闘いは上手くなっても、パンチ力やキック力が飛躍的に上がるような事は無いと思うから。もしかしたら肉体的な資質は元からあったのかもしれませんが、それ以上に重ねてきた鍛錬の質と量が大きかったのだろう。

 ■赤坂さんと入江診療所
 「入江診療所」という単語を目にするというちょっとした偶然。これが祭囃し編において赤坂さんが雛見沢を訪れるキッカケとなった。
 物語的に言って暇潰し編における赤坂さんの負傷は、彼にタイムリミット前に雛見沢へ訪れるという選択肢をもたらす為のものだったというわけか。
 そして雪絵さんが無事でさえあれば、赤坂さんがショックで完全に雛見沢での出来事を思い出す余裕を無くしてしまうという事態も回避できると。

 ■足りなかった駒
 ゲームを開始する為に、まだ盤上に必要な駒が揃っていないので不安だというあの世界の語り手。
 ゲーム盤とその駒、そして駒が揃っていない……この状況から罪滅し編のあるエピソードが想起させられた。
 部活で麻雀をやろうと言い出した際に、しかしいくつかの牌が発見できなくて結局お流れになってしまったあのエピソードです。
 というわけで、もしかしたらこのエピソードは今回の語り手が言うような状況を暗示していたのではないかと思ったのですがどうでしょう。

 以下に備忘帳の中から、罪滅し編メモ用に書き込んだまま長らく放置されていた文章を引っ張り出してみます。

 > ■足りない麻雀牌
 > 発見されたのは「中」。
 > 見つからないのはピンズ、ソーズ、マンズの「六」。
 > サイコロの目にちなんでいる? 「中」は赤色なんでサイコロの一の目の暗示だとか。


 見付からなかったパイは全て「六」であった。上記にて推測している通り、これは「サイコロの六」にイメージを重ねていたのかもしれない。
 ピンズ、ソーズ、マンズの「六」とは、それぞれ用途の異なる切り札……つまり、ルールXを打ち破る為に最重要な駒である入江先生、そして同様にルールYに対する赤坂さん、ルールZに対する圭一を暗示していたのかもしれない。
 そして罪滅し編の段階では対XYZ用のいずれの駒も揃っていなかった(赤坂さんは不在、入江先生と圭一はそれぞれの担当分野における役割を果たせぬまま物語が終了)事を意味していたのではないだろうか。

 だが、今回の祭囃し編にいたって対ルールX・ルールZ用の駒である入江先生と圭一を見出し、ついに最後の対ルールY用の駒である赤坂さんの参戦も実現した。ここに三人の切り札、みっつの「六」が揃ったのだという事になるのではないだろうか。

 ■三人の切り札
 全員が外部から来た人間なんですね。マンガ版暇潰し編のフレデリカの詩でいう、遠い異郷からやってくる騎士といった所だろうか。

 で、雛見沢症候群を治療する入江先生、雛見沢村の悪弊を打破する圭一と、内部の負の要素を払拭するに当たって外部の人間が切り札となるという構図が出来上がっている。
 対して雛見沢大災害(終末作戦)に対する赤坂さんは、外部からもたらされる負の要素を打破するに当たって別の外部の人間が切り札となるという構図になっている。
 また、三人とも役割が異なる。誰か一人が欠けてもいけない。三人全て揃わなくては全ての負の要素を打ち倒せない。

 能力の異なる人たちが手を取り合う事で単独では成しえない大きな事を成しえる。そういった物語の縮図でもあると言えるかもしれない。
 そして彼ら「遠い異郷からやってきた騎士」たる外部の人間たちが、内部の人間とお互いに手を伸ばしあって繋ぐ事によって本当の奇跡が起こると。

 ■お互いに手を取り合うという事
 妻を、そして梨花を救えなかった事を酷く後悔していた赤坂さん。その無念をどうにかするには人の手に余る奇跡が必要であった。
 一度だけ心が揺らいで非現実的な物に救いを求めた出来事が収められていたのが、これまで発見されていなかった暇潰し編の小さなカケラであったのかもしれない。
 しかし彼は超常現象的なモノの存在など信じていなかったから、それはただの一度だけで、基本的にはそちらへ手を伸ばそうとはしなかったのかもしれない。
 もしかしたら、そういう考えであったからこそ暇潰し編のカケラは欠けていたのかもしれないな、とちょっと妄想してみたり。たった一度だけとはいえ神頼みだなんて軟弱な事をしてしまった自分を恥じた為にその過去を切り捨てて前へ進んで行こうと考えたとか、そんな感じで。
 しかしどんな理由で欠けていたにせよ、その欠けたカケラをあの不思議世界の謎の語り手がそれを発見した事によって、初めて双方の手が繋がったという事になるのだろう。

 沙都子を救う為の鍵は、赤坂さん参戦の為の鍵でもあったと。彼もある意味沙都子と同じような状況にあったといえるのではないだろうか。そうなってしまう原因も、自分が未熟であった事が要因のひとつとなって、一人の人間を不幸にしてしまった事に起因する後悔という点で共通していますね。
 梨花を救うに足るレベルにまで己を鍛え上げる事は出来た。赤坂さん自身がすべきことはやってきた。だから「語り手」側が赤坂に手を伸ばすに足る条件こそ満たしていたのだろうけれど、肝心の赤坂さんの方も手を差し伸べてくれなければ意味が無かったわけだ。
 いやあ……なんというか、ここまで長かったなあ。赤坂さんさえあの時の雛見沢に居てくれさえすればともどかしい思いをし続けてきた読者の一人として、非常に感慨深いものがあります。ようやく本当に始まったのだなと。

 ■発症したら羽入の存在が感じ取れるわけ
 ついに始まった祭囃し編本編(?)の冒頭にて説明されている、羽入が誰にも見えなくなってしまったわけ。それは羽入自身がその世界に関ろうとしなかったから、という事であるらしい。
 だとすると羽入の存在が雛見沢症候群を重度に発症した人間にしか感じ取れない件に関しては、今までは雛見沢症候群に羽入を観測できるようになる何らかの要素があるからだと考えていましたが、実は逆であった可能性も考えられるかも?
 つまり雛見沢症候群を発症して苦しめられている人に対しては、必ずといって良いほど羽入が傍で謝り続けている。よってこの時に限り、羽入はその人に対して積極的に「関って」いる。だからその人にとってだけ羽入は「居た」という事なのではないか、という解釈なんですが。

 ■立ち絵
 そういえば何度となく語り手の立ち絵も表示されているような。何か深い意味があるのかどうか。
 「語り手」といってもあの不思議世界の語り手の事ではなくて。
 モノローグの文体から察するに、その場面において「視点」となっていると思われる人物の立ち絵も表示されている事もあるよなあと。果たして伏線なのかミスなのか演出の方針転換なのか。

 ■オヤシロさまは祟らない
 つまり、皆殺し編のラストでの鷹野さんの推測は誤りだったという事に。
 どちらかというとFateでいうところのアンリマユに近いカタチでの信仰を受けていた事になるのだろう。
 祟るから畏怖され神となったのではない。人間側の罪を祟りというカタチで押し付けられた、都合の良い存在だった。

 ■羽入はいかなる存在なのか
 羽入の過去、古手家の禁書に記されたオヤシロさま伝説や、羽入の雪山の伝言ゲームの例えから想像するに、人々によって都合の良い存在、人々にそういう存在が居て欲しいという願望の具現といったところだろうか。それってまさに神様そのものであるような。
 そして今の羽入は村人たちによる、後のオヤシロさま信仰によって復活した? だとすると、高野一二三さんのいう神様の復活に通じる物がある。

 そもそも羽入たち一族が元々どのような存在であったのかはこの時点で語られていない。ふと、元より精神のみの存在であるのなら、色々な部分が納得いく気がする。
 例えば羽入は周囲に何も期待しなくなったら誰にも見えなくなったというような話。元より肉体を持っていたのなら、周囲に何も期待しなくなろうが存在は周囲から感知されるだろうし。
 他人の精神と密接にかかわりのある「何か」であったのなら、その関り自体を断ってしまったら、周囲から見ればその存在そのものが消失したも同然となっても不思議は無いかもしれない。

 そういえば、元々「鬼」という言葉の語源は姿が見えない事を意味する「穏(おぬ)」であるとか。そういう意味では羽入たち一族は本物の鬼だったのかもしれない。

 ■生贄の儀式があまり目立たなかったわけ
 オヤシロさまが身代わりとなって罪を被り犠牲となったという真実。その際ハラワタは川に流され、体は沼に沈められたという。
 それが後に綿流しや生贄の儀式として伝えられたのだとすると、現代においては後者があまり目立たない点にも納得がいくかもしれない。
 雛見沢の住人が人食い鬼とされていたからだろうか。
 つまり、沼に鎮められたのはハラワタを抜かれた体だと知られたら、実際には人を食ってなど居ない事が知られてしまうのが不都合だった?

 ■何故皆殺し編で赤坂さんは積極的に関ってこなかったのか
 まず本編での赤坂さんの言動からもわかるように、雪絵さんの死は彼に雛見沢を再び思い出させる余裕を失わせてしまう。
 加えてその出来事を回避できた場合、それは梨花の忠告により深く耳を傾けたからである。
 前者のマイナス要因が存在しなくなり後者のプラス要因が存在すれば、赤坂さんがもう一度雛見沢を思い出す可能性は高まると思われる。
 その「雪絵さんの死」という出来事が、「赤坂さんと入江診療所」の項にて述べたように祭囃し編において、そして皆殺し編においても起きていない。よって多分雪絵さんが死んでしまう世界に比べて、祭囃し編・皆殺し編は赤坂さんが雛見沢を再度訪れる可能性が高い世界であると言えるのだろう。

 そういえば、暇潰し編の失われたカケラにおける赤坂さんと例の不思議世界の語り手との会話にて、語り手は自分に出来る事は気付かせることだけであると述べている。

 > 彼女は私に、東京へ帰らねば不吉なことが起こると予言した。
 > …その時、私はなぜか、それは少女の世迷言などではなく、何か神懸かったものを感じたのだ。


 今回赤坂さんはこのように回想しているが、まさにこれこそが前述の奇跡だったのかもしれない。

 閑話休題。何故皆殺し編においては積極的に物語に関ってこなかったのか。
 これまた「赤坂さんと入江診療所」の項で述べた事なのだが、今回は偶々「入江診療所」というキーワードから雛見沢の事が気になりだした。そしてこのキーワードを目にした書類は、例の不正支出リストである。よって「雛見沢の入江診療所に不審な金が流れている」と知った上でやってきた。
 もしかしたらこの点が大きかったのではないだろうか。つまり逆に、皆殺し編ではそれがなかった可能性もあるのではないか、と考えたわけである。

 ソチラの世界の過去においては、梨花の忠告から雪絵さんのもとへとんぼ返りした事が結果的にそうなった原因であったのではないだろうか、とふと思った。
 何故なら雪絵さんが事故に遭うよりも前にとんぼ返りしたからには、タイミング的に赤坂さんがケガをして入江診療所の世話になるような事はなくなるのではないかと思ったからであるわけなのですけれども。
 そうなると、例の資料の中に「入江診療所」という単語があっても赤坂さんはそれにひっかかりを憶えることもないし、別のキッカケで雛見沢を思い出しても「雛見沢の入江診療所に不審な金が流れている」事を同時に知る可能性は低いだろう。
 物語に赤坂さんが積極的に関ってくるために必要な条件は、ひとつは雪絵さんの死の回避、もうひとつは雛見沢におけるきな臭いものの存在の予感だろうか。

 更に付け加えるなら、皆殺し編では雛見沢にやってはきたものの、「オヤシロさまの祟り」とされる連続怪死事件について大石さんと意見交換をした事も無かったのかも。
 今回赤坂さんは不審な金の流れから梨花の事を思い出し、そこから彼女の「予言」を思い出した。前者がなければ赤坂さんの中で後者は、単なる不思議少女の不思議発言に留まっていたのではないだろうか。だから大石さんとの会話で「予言」の内容が事実であったかどうかを確認する事もなかったかもしれない。
 祭囃し編においては知りえた不審な金の流れと、梨花の予言の裏づけというふたつ。これらを皆殺し編においては知りえなかった為に、危機感が足りなかったのではないか。雛見沢へは雪絵さんと一緒に旅行に来てい事も、危機感のなさを裏付けていたのではないかとも思うわけですが。
 赤坂さんが所属する部署が長めの休暇を得る原因となった出来事は実は皆殺し編でも起きていて、それに関連のある資料に記載された「入江診療所」というキーワードを赤坂さんは知らなかったから、その休暇を利用して雪絵さんを連れて遊びに行こうと考えたのかな、もしかして。

 しかしなんだ、どの世界でも赤坂さんは梨花の事で後悔して苦しむ事になるわけですが、皆殺し編の後の世界ではそれ以上に無念に思っているだろうな、間違いなく。

 ■鷹野さんを操る黒幕
 例の小泉派(?)らしき胡散臭い女。野村だったり渡邉だったり舞沢だったりとまあ色々な名前を使っている。実質コイツが最後に倒すべき相手となるのだろうか。いや、コイツの更に後に誰かが居るのか。
 「鷹野さんと小此木、祟りの執行者と大石さん」の項で書いたように、鷹野さんは相談相手が悪かったのではないかと思うわけですが、山狗に続いてこの胡散臭い女もその件に含めて良いかも知れない。

 ■大災害後に雛見沢の閉鎖期間が長く続いた理由
 上記の女によると、陸自の別部門が作戦後に研究を引き継ぐという。祟殺し編推理・考察での政府がやっちゃった説にて書いた事は、割りと当たらずとも遠からずだったようですね。

 さて、果たしてこの場に鷹野さんは居たのだろうか。作戦後はトカゲの尻尾切りで殺されてそうな気もしますが。
 そもそも本当に研究を行ったのだろうか? これはTIPS「悪魔の脚本」にて赤坂さんが語っていた、彼が聞き及んでいた話から察するに本当だったのではないかと思われる。
 では、研究した結果どうなったのか。罪滅し編の世界の未来における赤坂さんの言動からは、雛見沢症候群の研究が成功して世界をあっといわせる大事件となったととれる描写は無い。

 研究は失敗に終わったのか。

 失敗ではないが、雛見沢における特殊な風土病の域を出ないという結論に終わり、人類の精神活動は寄生生物の影響を少なからず受けているという説自体は裏づけがとれず、そういう意味では失敗に終わったのか。

 それともそれを実証したとしても、単に赤坂さんがそれと雛見沢とを結びつける事が出来なかったか。
 これはもしかしたらありうるかもしれない。何故なら赤坂さんですら雛見沢で行われていた事を知る事が出来ないのだから、高度な情報操作が行われている。
 では、新しい理事たちが危惧していた通り、例えば世界中の宗教を敵にしかねない厄介な研究成果は結局表に出せなかったということなのかも?
 或いはまた黒幕たちが入れ替わっていて、研究成果の軍事利用その他を考えているため秘匿していたとか……。
 まあ、いくら考えても想像の域を出ないんですけどね。

 ■梨花の死ぬ日がある程度の範囲内に収まっていた理由
 これまた例の胡散臭い女が上手く立ち回って敵対派閥の人間が悉く東京を離れる期間を設定していたからであるようだ。
 つまり、その敵対する勢力が口を挟めない間に作戦を実行に移す。実は皆殺し編での総理たちのやり取りも、黒幕たちにしてみれば茶番だったという事か。

 ■滅菌作戦の決裁と北条家迫害とシンパシー
 前項において触れた、総理が決裁に至るまでのやり取り。実はその場に立ち会う人間が予め制限されている事によって出される意見も制限されていた。つまり偏っていたという事実を知って、ちょっと綿流し編の部活における「シンパシー」を思い出された。この辺に関しては随分前に綿流し編メモでも長々と書きましたが。
 つまり、周囲の意見が偏っているから自分もそれに流されてしまう。総理はまさにそのパターンにはまったのではないだろうか。
 これまでのストーリーで、ルールXによる惨劇を回避するためには仲間と相談しあう事が重要である事が明かされている。だが、祟りの執行者にとっての大石さんや、鷹野さんにとっての小此木の例のように、相談する相手次第では逆の結果を生む事も示されている。
 総理が滅菌作戦に決裁してしまったのは、後者の例に該当するのではないだろうか。

 思えば鬼ヶ淵死守同盟における北条憎しの風潮に関しても、そういった側面があったといえるのかもしれない。
 これでは惨劇の回避の為に仲間と相談しあう事なく一人で思い悩んで、間違った方向に暴走したケースとさして変わらない。
 一人で思い悩んで誤った方向に進むのは何故か。それは思考の方向性に外部からの「新しい風」が介入する事がないからだと思う。
 鬼ヶ淵死守同盟の件は、上記の「個人」の例がそのままのカタチで「集団」の例に拡大されたようなものだったのではないだろうか。
 だからこそ、同盟において北条家の扱いに関する点において流されなかった神主さんの死が惜しまれる。
 もしも神主さんが健在であったのならば、お魎さんに真っ向から対立する事はなくとも密かに沙都子の味方になってくれただろうし、雛見沢の悪弊を少しずつ払拭していこうと地道に働きかけてくれたのではないだろうか。
 そして皆殺し編の沙都子救出においては、圭一たちにとっての心強い味方のひとりとなってくれたのではないだろうか。

 ■滅菌作戦の事前察知
 皆殺し編推理・考察では富竹さんから、と予想していましたが、実際には入江先生の方から知ることになったか。そういや皆殺し編のラストに登場するマニュアルの文章から察するに、入江先生がこの作戦の存在自体を知らないとは考えがたい。それがわかっていたのに彼から教えてもらうというパターンを思いつかなかったとは迂闊。
 それにそもそも、綿流しの夜の出来事を回避し、その後も生存した富竹さんからそれを聞き出すというのもあまりベターとはいえないですね。その段階ではちょっと遅い。絶対に挽回できないほどの遅れではないかもしれませんが。
 まとめると早い段階で察知しておくべき、という予想自体は間違いじゃなかったと思う。しかしそれを綿流しの後に富竹さんを救出してから、という部分はあまり良い解答ではなかったというべきかもしれない。

 ■大石さんへの早い段階での事情説明
 これも必要な事柄だと予想していましたが、こんなにあっさりと実現するのは予想外でした。ともあれ、警察の協力が必要であるという予想自体は良かったようですね。民間人だけの連携では鷹野さんたちの計画を崩すのは難しいでしょう。

 で、大石さんは意外にも梨花の事情をあっさりと信じたように見えましたが、これはもしかしたら赤坂さんが梨花寄りであった点が一役買っていたかもしれないですね。

 あとは、偶々入江先生・富竹さんといかにも何かありそうな怪しげな会話をしている場面に出くわしたからだというのも大きいかも。
 梨花の境遇をいきなり説明したとしても、はたして大石さんは信用してくれただろうか。
 なにせそれを裏付ける事実が外部に露呈していない。そうでなければ大石さんが自力でソレに辿り着いて入江診療所の事実に辿り着くか……或いはその前に山狗によって消されていただろう。
 ともかく、梨花が自分の境遇を大石さんに説明するのでは、胡散臭い嘘をついているととられてしまう可能性がある。大石さんと部活メンバーとでは、梨花との精神的な距離とでも言うべきものが違うのだ。
 だから、入江先生や富竹さんのような大人とそれっぽい会話をしていたという事。しかもそれが偶然その場に遭遇しただけであるから、彼らと示し合わせて大石さんを担ごうとしていただけである可能性は低いと推測できる状況が、上手い具合に大石さんに信用させる要素となっていたのではなかろうか。

 最後は既に述べられている通りあれですね、彼にしてみれば定年間近でおやっさんのカタキをうつタイムリミットが迫っているため、多少怪しい情報でも食いつく心理状態にあった事。大石さん自身少なからずそれを自覚していたようですが、ともあれ、この点が今回梨花にとって良い方向に働いてくれたと言えるでしょう。
 罪滅し編で富竹さんの遺体が発見された場所が異なっているのも警察の協力が得られたからでありますが、これも梨花の大石さんへの情報提供に起因する事であり、この件に関しても同様の事が言えるのではないだろうか。

 ■入江先生と鷹野さん
 疎遠だった。これも鷹野さんの間違いのひとつでしょうね。そしてこの物語が語る、人と人の関り方における悪い例のひとつでしょう。

 ■高野先生の遺書
 高野先生は自殺だったという話。実は雛見沢症候群の影響が少なからずあったのでは……ともちょっとだけ考えましたが、流石に穿ちすぎだろうかね。
 ともあれ、これによって皆殺し編のTIPS「*代子へ」と繋がる。これは正しくは「美代子へ」という、鷹野さんに向けての遺書だったわけなのだろう。
 その内容から察するに高野先生には、鷹野さんにはどんな分野でも良いから彼女に合ったところで活躍してほしい、自分と同じ轍は踏まずに成功してほしいという願いがあったように思える。
 つまり一番気にかけていたのはあくまで鷹野さん自身の未来であり、鷹野さんが自分の研究を引き継ぐ事を必ずしも望んでいたわけではなさそうだ。勿論そうしてくれたら嬉しいと思ったのかもしれないけれど。鷹野さんが自分が引き取られたばかりの頃の高野先生の言動から、そうだったのではないかと推測する場面の存在もこれを裏付けていると思います。
 だが実際には鷹野さんは高野先生の研究に執着した結果、道を踏み外してしまう事となる。そう考えるとなんとも皮肉である。

 ■鷹野さん側の団結と梨花側の団結の違い
 鷹野さんは身近な仲間を信用しなかった。
 確かに人と人との繋がりが作り上げる強大な力を得る、という側面は両者共に同じ。
 しかし、鷹野さんは自分にとって有用な存在である内は入江先生と力をあわせていたが、心から信頼していたわけではない。後にあっさりと切り捨てているし。
 つまり、鷹野さんが作り上げたネットワークはギブアンドテイクな協力関係に近く、ある程度打算が入り込んでいると思う。鷹野さん自身を含めて。だから風向きが変わるだけで、もろく崩れ去ったのだと思う。
 逆に梨花たちは打算などない、信頼関係から強固に結びついた本当の意味での団結だったと思う。

 ■鷹野さんの失敗
 理事会への説明の為に独力で動いた事。
 というか、それ以外選択肢があり得ない状況に陥った、つまりその袋小路へ迷い込んだ事。迷い込んだ原因がそもそもそれまでの彼女の行動の積み重ねなのであろう。
 つまり、協力者を作る事は出来たが、信頼できる仲間を作る事は出来なかった事。

 何度か書いてますが、やっぱり鷹野さんは別のシナリオにおいて末期発症し惨劇の執行者となった登場人物達と同じ道を辿っていると思う。
 加えて精神的に不安定である時に参考にした間違った(或いは偏った?)情報から(大石さんや、罪滅し編のレナにとっての鷹野さんからの情報などのように)、そのまま間違った方向へ暴走するというパターンまで一致していると思う。
 鷹野さんは雛見沢症候群を発症していたわけではないと思う。が、その発症者と似たような境遇に陥ってしまっているんじゃないかと。

 彼女を理解し、救う事は言うなれば罪滅し編の圭一がレナに対してやった事と同じ。ルールX同様、ルールYの打倒にもルールZの打倒に必要な要素がある程度有効であったと言えるのかも。
 特殊な病気によらずとも、人は上記のような過ちをおかす。それを回避する為には人と人同士の関り方が重要なのかもしれない。

 ■緊急マニュアルの阻止
 皆殺し編推理・考察で予想した通り、雛見沢症候群に関する48時間云々が間違いである事を事前に明らかにする事が出来れば、というのは良いセン突いていたかもしれない。
 ただ、上記の予想を書いている際に48時間前に梨花が死んでいると偽装できれば、という考え自体は……頭を過ぎった事くらいならばあるんですが、その後始末をどうするのか。それが全く思い浮かばなかった。
 事情が事情とは言えシャレで済むような事じゃないですからね。実際大石さんも事後の事を考えてかなり悩んでいたし。だからあまり現実的ではないと思っていたのですが。
 だが皆殺し編の段階で興宮署にも山狗のスパイが紛れ込んでいる事は明らかだった。それを知っていながらそいつを逆手にとって、入江機関側にだけ未確認情報として伝わるようにしてかく乱すれば、後始末する側の負担も軽減できる筈だという発想に至らなかったのは迂闊だった。くやしいなあ。

 間違いに関しては着目したが、それを証明せずともそうと見せかける事によって(実際にはそれが事実であると別の世界で証明されているわけだが)抑止力としては使えるというわけだ。

 しかしこの案を最初に思いついたのが魅音だってのは偶然か、はたまた。
 魅音は綿流し編/目明し編で梨花の死後48時間経過しても村が大騒ぎになった様子はない事を知っている。知らないうちに仲間である梨花を殺された為イマイチ実感がわかないであろう圭一やレナに比べて鮮烈に。なので無意識に他の世界での記憶を参考にしてたのかな、などとちょっと思いましたが。
 けれど彼女ならそれによらずともこういった作戦を思いつくだけの能力があるので穿ちすぎかな。

 ともあれこの作戦、楽しみだ。

 ■お墓参り
 ダム現場の監督のお墓参りをする場面。ひぐらしのなく頃に解の「解」は、心の中に凝り固まった何かが解けていく事も意味しているかもしれないな、とちょっと思ったり。

 ■富竹さんの買収
 野村を名乗る胡散臭い女とのやりとりによると、鷹野さんは富竹さんが買収に応じた場合どうするか、などと言っている。
 それやその後の様子から察するに、どうやら鷹野さんは出来れば富竹さんを殺したくはなかったのかもしれない。前作で明かされた五年目の綿流しの夜の出来事において、富竹さんが表面上だけでも鷹野さんの誘いに乗っていたら、助かっていたのかもしれない?
 しかし或いは傍からいなくなって初めてはっきりと気付いたというのもあるかもしれない。だから富竹さんが多分ずっと鷹野さんの傍にいた他の世界では、鷹野さんの内面にここまでの葛藤は生じなかった可能性もあるかも。

 ■田無三四
 祖父のを継いで三四、のつもりが研究を零にしてしまう。
 だから本名は田無(=零)という姓だったんだったりして。或いは「台無し」の駄洒落だったとか。

 ■大石さんの協力者
 48時間作戦の概要を熊ちゃんと鑑識の爺さんに説明。
 この場面を読んで思ったのですが、鬼隠し編の圭一のメッセージを改竄したのは大石さん、ではなくて大石さん一派だったと考えるべきかもしれない。
 大石さんが単独で圭一の部屋を調べたわけじゃないんだから、一緒に調べていた捜査員達も口裏を合わせなければ改竄の事実が漏洩してしまう。綿流し編のTIPS「雀荘「鈴」」における覚悟の10カウントからも読み取れる彼らの結束の強さが、鬼隠し編の謎のひとつを作り上げていたという事になるのかも。
 となると、これも人と人との繋がりが生み出す力がテーマといえる(と思う)この作品としては、そのテーマにまつわる伏線のひとつであったという解釈も可能かも?

 それから鑑識の爺さんといえば、用語辞典によると鑑識の出した結果を必ずしも鵜呑みにしてはいけないと言っているんだったっけ。これは鷹野さんの遺体偽装の件のみならず、もしかしたらこの48時間作戦に関する伏線でもあったのかもしれないですね。この作戦では死後48時間経過した梨花の死体が発見されたという情報を、最終的には誤報として誤魔化すつもりなわけだから。
 そして、鵜呑みにしてはいけないという部分。他人の意見を受け入れないのは間違いである。しかし逆に、人の言うことを何も考えず鵜呑みにするのもいけない。この件もこの作品のテーマにそった伏線であったと解釈してみる。

 ■48時間作戦開始
 これによって慌てふためく敵陣営。これまでどう足掻いても勝てなかった相手と立場が逆転、しかもはじめて先制攻撃を仕掛けることに成功したという痛快さを読んでいてこれでもかというほどに感じました。これまでバッドエンドを見せられ続けるたびに、こんな展開を見せてもらえる日をずっと待ち続けていました。
 味方陣営は全ての人たちが頼もしい。予想外のアクシデントはあるかもしれませんが、彼らを見ていると例えどんなピンチが訪れようとどうにかできるのではないかと感じさせてくれます。既に命を懸けた大勝負が始まったという興奮と共に安心感もあり、なんとも不思議な気分です。

 ■大高警部と署長
 大高と署長にも敵の息がかかっているらしい。
 そういや罪滅し編の特殊部隊の出動は大高によるものだった筈。署長も許可を出したとかいって現場に顔出してたっけ。
 これはつまり計画の為に一旦梨花を救出するのが目的だった? いや、それも変か?
 あの場合梨花の経験によると大概営林署は最後に爆発するようだ。この世界ではその際の梨花の死亡にともなって終末作戦を発動したという事だろうか。

 ■梨花の死がブラフであるとすぐに気付けた富竹さん
 敵は梨花達が自分たちの動きを察知していると知らないからすぐには気付けない。
 富竹さんは梨花側だから、すぐに察することが出来た。逆に言えば梨花側である富竹さんといえど、48時間作戦を知らされていなければ最初は大いに動揺していたのだから、いわんやそれが作戦であると知らない敵側であれば、という事だと言えるだろう。

 ■大石さんVS大高警部
 こっちは二千人の命を背負ってるんだと猛る大石さん。かっこええ!
 これまではどちらかというと雛見沢を敵視していた彼が、完全な味方としてこうまで頼もしい姿を見せてくれているという事実には何か感慨深いものがあります。ここは間違いなく彼の最高の見せ場でした。
 そしてお墓参りの場面でのやり取りが伏線に。尤も大石さんならひとりでも大高くらいならどうにかできたと思うけど、物語上園崎家との連携で共通の敵である大高を倒すという構図だからこそ面白い。
 大石さんが一番敵視していた園崎家との和解が完全勝利に繋がる。まさに作品のテーマに沿った決着の仕方であったと思う。

 ちなみにその作品のテーマから言えば、このふたりの勝負において大石さんが勝利するのは当然の帰結であったのではないだろうか。
 大石さんは人望がある。多くの人をひきつけ、彼らとの強い結束を得ている。
 大高にはそれがない。子分を連れてきていたが、彼らが大高を攻撃する大石さんに決死の覚悟で挑むような事はなかった。恐らく大高の肩書きが持つ力で得ただけの子分だったのだろう。
 そういう意味ではこの両者には、圭一や梨花たちのいかな逆境にあろうと崩れない鉄の結束と、鷹野さんが築き上げてきた風向きの変化だけで脆くも崩れ去ったギブアンドテイクの繋がりとの違いの例が、そのまま当てはまりそうだ。

 直接やりあったのは大石さんと大高であって、それぞれを中心に結びついた集団同士がぶつかりあったわけではないが、その中心人物の器の大きさは、作り上げた集団の性質に如実に現れているだろう。
 人と人とが手を取り合えば大きな力を発揮する。そして大きな力を持ち、強く結束した集団を纏め上げるリーダーは、単独でも優れている。もとよりふたりには大きな能力差があったのだ。
 罪滅し編ではどうにか上手くいきかけたところで余計なちょっかいをだされてしまいましたが、あちらでの状況と違って雛見沢の仲間たちにあの場を託されたこちらの大石さんは、まさに本気の本気とでも言うべき状態であり、集団を纏め上げて背負うリーダーとしての能力を十全に発揮していただろう。
 お互いに手を取り合うから奇跡は起きるように、集団はお互いに手を取り合うから強い力を発揮する。だから、その集団に加わる全ての人を背負うリーダーは強いのだと思う。ただのギブアンドテイクの関係ではこのような強さはそうそう得らないだろう。
 しかも背負うといえば、この状況において彼は最初にも書いたとおり二千人の命を背負っている。加えて彼にとって最強の敵であった園崎家とまで手を取り合って、負ける筈などあろうか。

 ■機関車富竹
 富竹と書いてトーマスとルビをふると良い。
 前作で複数いる山狗相手に奮闘した場面からやはり彼は強かったという事を読み取る事が出来ましたが、しかし最終的には数に負けてしまった。
 ですが三人程度なら圧勝ですね。これまで時報役であった彼ですが、ついに活躍らしい活躍ができた。


 あ、捕まった。


 大石さんが富竹さん相手に喧嘩する場合に必要だと考えていた人数と、前作での山狗の人数は過剰な戦力ではなく、富竹さんを相手に確実に勝つ為に最低限必要な数であることが証明されたわけだ。

 ■赤坂さんからの忠告を思い出させる羽入
 蛮勇というべき行動を起こしかけていた入江先生でありましたが、羽入の言葉を受けて正しくは脱出して仲間の元へ駆けつけるべきであると気付く。
 皆殺し編推理・考察で、他の人物が見れない部分を見に行ける点を活かしたらどうかというような事を書きましたが、他人に視認される事無く移動できるという点を活かしているということではここも同じかもしれない。
 前述の予想は、着眼点はよかったのかも。実際にはこの羽入の長所が一番活かされているのはカケラつむぎの場面であるような気がしますが。

 ■入江先生脱出
 読んでいてこっちも胃が痛くなりました。出題編では背中が気になって恐くなるひぐらし。ある意味こちらも背中が気になるシーンでした。
 しかし診療所から飛び出してきた山狗が入江先生を発見、車に向かってきた場面。あれ、既に車に乗っていた相手を追いかけるくらいなら自分も車を確保した方が確実じゃないの?? と思ったのだが。
 まあ素人の想像の域を出ないし、或いはそれが正解だったとしても実際にあの緊急の場でそのように冷静にそう判断できる人間なんて少ないんでしょうけれども。あれだ、別のシナリオで圭一がクイズ番組を見ながらなんでこんな問題の正解がわからないんだーとか言いつつ当事者とテレビを観ている自分とでは心理状態が違うからだろうと分析していましたが、それと理屈は同じでしょうかね。
 その後のカーチェイスは読んでいてもっと胃が痛くなりました。


 以下、作成中


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