フラガラックとゲイボルクが
相討ちになるわけ

 ※この文章はFate/hollow ataraxia雑記(3)の26の一部を再構成し、加筆したものです

 フラガラックは相手の攻撃を無かった事にしてしまうのだから、ゲイボルクすら無効化できるのではないのかと疑問に思われるかもしれない。しかし実際には作中においてフラガラックとゲイボルクとの対決の結果は相討ちとなっている。一体何故なのか。

 その理由はFate/hollow ataraxiaは「-アトゴウラ-」にて語られているのだが、重要なふたつの要素が文章の構成上少々離れて配置されている為に、もしかしたらわかりにくいかもしれない。そこでこれらを引用しつつまとめてみることにした。
 以下に引用した文章はその「-アトゴウラ-」からである。

 >だが真に恐るべくはその特性。
 >後より出でて先に断つ。
 >フラガラックはその二つ名の通り、因果を歪ませ、自らの攻撃を『先になしたもの』に書き換えてしまうのだ。


 >その結果がどうなるか。
 >どれほどの宝具をもってしても、死者にその力は振るえないように。
 >先に倒された者に、反撃の機会はない。
 >フラガラックとはその事実を誇張する魔術礼装。
 >運命を歪ませる概念の呪いである。


 つまり、フラガラックは相手を倒した結果としてその切り札の使用をキャンセルするという過程を経る物であるようだ。
 「死者にその力を振るえないように」という箇所が重要なポイントである。相手の切り札を直接キャンセルしているという描写は何処にも存在しない。その点を踏まえて、次に同じ「-アトゴウラ-」よりゲイボルクに関する以下の記述。

 >真名を以て放った瞬間、ゲイボルクは『既に心臓に命中している』という結果を持つ。
 >ならば―――発動させる前に戻って、術者を殺しても無駄なこと。
 >心臓を貫く結果を持った槍は、術者が死亡したところで、その責務を果たす為に疾駆する。


 最初に重視したポイントを踏まえた上でこの記述を読めば納得がいくのではないだろうか。
 結論としてはゲイボルクがその因果を逆転させるという特性から、使用者の生死に関係なくその行動を遂行する物であったが故に相討ちとなったという事になるのだろう。
 なにせ因果の逆転である。「ランサーが槍を放つ」よりも先に「心臓を穿つ」が成立する。つまりこの時点で後者は前者の成立を必要としていなくなっているのだと思われる。
 この辺りの理屈に関しては、Fate/stay nightにて初めてゲイボルクが使用された場面にて記述されているので以下に引用する。

 >つまり、仮定と結果が逆という事。
 >心臓を貫いている、という結果がある以上、槍の軌跡は事実を立証するための後付でしかない。


 故にランサーを倒す事によって「ランサーが槍を放つ」を打ち消そうとした所で意味がない。ゲイボルクは発動させた時点で「心臓を穿ってから槍を放つ」事になるからである。
 「心臓を穿つ」はキャンセルされていないのだから、結局槍はランサーを倒された所で「心臓を穿つ」という原因からその事実を立証する為に、主が戦闘不能の状態でありながらなお「槍を放つ」という結果を導いたのだろう。
 もしもフラガラックが「相手を倒した結果としてその切り札の発動をキャンセルさせる」のではなく、「相手の切り札の発動そのものを直接キャンセルさせる」タイプであったのなら、如何に同じ「時間の呪い」を有するゲイボルクですら(或いは同じ時間の呪いを有する宝具であるからこそ?)キャンセルされてしまっていたのかもしれない。

 死してなお甦るモノがフラガラックの天敵であると作中にて述べられているが、同様に死してなお攻撃を止めないモノを相手には“両者相討つ”という運命を断つ事はかなわなかったという事なのではないだろうか。

 なお、ゲイボルクが因果の逆転によって「心臓を穿つ」を成立させる前にまで逆行してランサーを倒せば、相討ちにはならないのではという疑問が生じるかもしれない。この件に関しては後日改めて考えてみる。


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