ひぐらしのなく頃に
Frederica Bernkastelに関する考察 |
名前について
私の主観で「あ、これフレデリカに関連あるかもしれないな」と思った事柄を列挙しているだけですんで、信憑性はあんまりないかもしれません。
■Frederica
この名前はFrederickの女性形であり、そのFrederickは古代ドイツ語のFrithuricに由来。平和とか支配者とかを意味する。この辺は雛見沢におけるオヤシロさまのイメージに重なるが、ファンブックの用語集にて本人、自分はオヤシロさまではないといった感じの発言をしていたりもする。Frederica
Bernkastelの詩の下の方にそのコメントを転載してありますので参考までに。
なお、Fredericaは英語形なのだが何故かBernkastelの方はドイツ語である。まあ、ペンネームみたいなもんだとでも受け止めれば問題ないだろうか。
ドイツ語形はFriedrich(フリードリヒ)。リンク先にもあるとおり歴史上の有名人は神聖ローマ帝国の皇帝など。
で、なんとなくこの名で本編のフレデリカと関連の有りそうな人物などいないものかと調べてた際に、ちょっと気になったのがフリードリヒ・ニーチェ。何が気になったのかというと彼の思想の中にある永劫回帰という概念。
罪滅し編にて梨花が同じ時間を何度も繰り返している事を暇潰し編以上に明確に匂わせていたわけですが、その「時間の無限ループ」のイメージとニーチェの思想にあるこの概念のイメージとが重なるような気がしたのでした。
また、この「永劫回帰」は古代ギリシアの思想の影響を受けているようですが、「古代ギリシア」といえば都市国家。そういえば雛見沢って都市国家に似ているような気がしないでもないなあ、などと思ったりもする。
神殿に相当するのが古手神社。御三家を中心として結束は固く、政治的に独立しているという表現はあながち大げさとも言いきれない気がする。城壁は有りませんが、外界との接触を禁じるオヤシロさまの戒律が見えない城壁であるとか、或いは周囲を山に囲まれた地形が自然の城壁となっているとか。
それとリンク先においても言及されている通り、彼は最終的に発狂してしまったそうである。この辺りからはフレデリカ本人ではなく本編の一部キャラ達を連想しましたが……。
まあ、どれもなんとなくそんなふうに思いましたよ程度の話ですけれども。
■Bernkastel
ドイツに同名の都市がある。ベルンカステラー・ドクトールというワインで有名。
噴水の多い街。ていうか村。ベルンとは熊のこと。
・Doctor
その昔司教が病に苦しんでいた際、ベルンカステルのワインを飲んで体調が回復したとかなんとか。以後司教はそのベルンカステルのブドウ畑をDoctorと名付けたとかなんとか。
医者、ですか。オヤシロさまって「鬼」とされたなんらかの病人(?)を治療した医者だったと解釈するのが最も現実的であるようだとは思うわけですが、さて。
罪滅し編でのTIPS「お気に入りのワイン」にて「語り手」がワインを飲んでいたのは、彼女がフレデリカである事を示す伏線?
・Bernkastel-Kues
ベルンカステルとクースという街を合わせた呼称。
両者をつなぐ電車は廃線。ちょっと雛見沢と興宮の関係に似ているような気がした。確か、赤坂さんがやって来た時期にはまだあった雛見沢←→興宮を繋ぐバスが、後に廃線になってましたよね。まあ、電車じゃあないんですが。
・Bern
同じ綴りであるスイスの首都についても少し調べてみました。名前の由来はベルンカステルの方でも述べたとおり熊だそうだ。
こちらもまた噴水の多い街である。食人鬼噴水(Kindlifresserbrunnen)なんてのもあるそうで。
・食人鬼噴水(Kindlifresserbrunnen)
そこの食人鬼の像は濠に落ちないよう、子供たちに危険を伝えるという目的で建てられたらしい。
むやみに近づいてはならないとされた鬼ヶ淵沼のイメージと重なる。というか鬼ヶ淵村そのものでも良いか。それに鬼ヶ淵村の住人の先祖たる鬼も食人鬼ですな。
鬼ヶ淵村関連の昔話で子供も親も鬼に食われてしまったという物があるが、それに対して圭一が当事者たちが消えてしまったのならその話は誰が後世に伝えたのだとツッコミをいれている。
これが単なる「みだりに鬼ヶ淵村に近づいてはならない」という戒めとして作られた「作り話」だったのであれば、それはなんとなく食人鬼噴水の存在理由に似ているなと思ったのでありました。
ちなみに「brunnen」には「噴水」の他にも「井戸」や「泉」という意味もある。井戸といえば……。
また、鬼ヶ淵沼が地下水脈で別の「泉」だかにつながってて云々っていう推理は沢山噴水が存在するベルンの街にイメージが重なるような気がしないでもないとかちょっと思ったりなど。
フレデリカと古手梨花
罪滅し編のTIPS「雛見沢だった訳」によるとふたりの梨花(?)を見た圭一の父は、ご近所の友達同士でふたりとも将来個性的な美人に育つだろうと予想している。恐らくふたりはちょっと違う顔立ちをしているという事になるのだろう。
つまり双子だとか姉妹のようには受け止めていなかったわけで、個人的に梨花の二重人格っぽいところから同じ顔、或いは似た顔を一時期イメージしていた事があったが(勿論そうであるという確証はなかったんだけど)、実際には違ったようである。
さて、実は梨花を知っている圭一の父がシナリオ中で梨花に会う事があったらどんな風に話が展開していくのだろうか。気になるところである。実現するかどうかはわかりませんが。
一方TIPS「お気に入りのワイン」によると、大人っぽい梨花と会話していたもうひとりの一人称は「ボク」ではなく「私」である。
口調が普段の梨花と似ているが、別人であるような気がする。実際性格も違っていそうだ。普段圭一たちの前に姿を見せる梨花は、あのようにあうあぅとあたふたしたりはしないだろう。
そしてTIPS「前夜」ではそのもうひとりから大人っぽい梨花の方が「梨花」と呼ばれている。
まとめると、大人っぽい梨花が本来の梨花で、そこに「もうひとり」が乗り移った状態が普段の梨花、というわけではない。本当は大人っぽい梨花が普段の梨花を演じているだけであり、「もうひとり」は梨花ではなく別の誰かだという事になるのだろうか?
実際には見た目以上に長い時間を生きている梨花にとっての普段の梨花は、見た目通りの子供を演じなければ不審に思われるが故の仮面という事なのだろうか。或いはその際口調はわざと「もうひとり」のそれを真似ていたのかも?
この辺りについては他にも色々な解釈が出来るかもしれないので時間があったらまた考えてみたい。
さて、上記の通りだとするとファンブックの用語集に掲載されていたフレデリカのコメント(Frederica
Bernkastelの詩の下部に転載アリ)における「フレデリカ」と「この子」の関係が「梨花」と「もうひとり」に重なるような気がする。
「この子」が人見知りするというのは、他の人間には見えてない(TIPS「前夜」を読むに沙都子には見えていなかったと解釈できるし、本編で梨花がまんまそのような事を言っている場面もある)事を遠まわしに言っているという解釈もできなくもないかもしれない。本当にそのまんま人見知りするのかもしれませんが。
ビジュアルファンブックメモでもあれこれ書いたように、話の流れから「この子」はオヤシロさまと解釈できなくもなかったわけだが、これも「梨花」は100年くらい生きているにも関わらず「もうひとり」よりも若い、つまり彼女は更に古い時代から存在しているという点と繋がるかも知れない。
だが、両者が同一であるとするとフレデリカと古手梨花は全然別というコメントを素直に受け止めた場合矛盾してしまう。ワインを好んでいた件を考えるとどうしてもフレデリカ・“ベルンカステル”に関連付けてみたくなるのだが……?
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