ひぐらしのく頃に
ビジュアルファンブックメモ

 ※新規に追加された、或いは更新された箇所は赤字表記しています



 ■赤坂さんの子供
 雪絵さんがなくなったのに何故子供は無事?
 と思ってたら第二子だったようで。

 ■雛見沢分校
 この学校に通う児童が興宮の小学校に登校できない特殊な事情があるらしい事が私的捜査ファイルにて仄めかされていたので色々と深読みしてたんですが、深読みでした。
 要するにあれは、雛見沢というコミュニティの特殊な境遇を描いた要素のひとつだった、という事になるみたいですね。

 ■薬物の検出
 あんまり専門的な知識はないんですがまあ、普通に考えればある程度薬物に当たりをつけて、その薬物を検出する方法をその都度試すという手法なんじゃないかなあとは思ってましたが、本編で明確にそうとは述べられてなかったので、今回「鑑識のジジィ」の項でさりげに述べられていた事は結構重要な情報なんじゃないかと思います。

 そこでちょっと、私的捜査ファイルが出る前までは自分の中では富竹さんの件に関して最有力だった仮説を思い出したんですけどね。彼に注射されたのはラボナールじゃないかっていう物なんですが。
 根拠としてはラボナールに関して調べている内に知った以下の特徴。

 ・自白剤としても使用できる
 富竹さん、なんか調べてたっぽい気がするし、素性の知れない怪しい人だし。雛見沢に存在するなんらかの勢力に拉致され、情報を引き出すために投与されたとか。
 ちなみに自白剤として適した薬物というわけではなくて、あくまでそういう用途に用いる事も不可能ではないという程度らしいですが。

 ・体質によっては投与すると呼吸困難に陥る事がありうる
 で、たまたま富竹さんがその条件に該当していれば、苦しさから思わず首をかきむしったとか。
 注射痕に関しては、その掻き毟った首にあったのだとすれば。

 この仮説の問題点としては富竹さんが二番目の条件に当てはまると確定できるだけの根拠が無い事。否定する根拠も特にはないと思いますが。ともかくこの問題さえクリアできれば……と思っていたんですが。

 先にも述べた通り、この仮説が自分の中において最有力だったのは私的捜査ファイルが出るまでの話だったわけで。こちらで述べられていた事によるとどうも富竹さん、自分の爪のみならずそこらの石か何かでもひっかいていたらしいと明らかにされた。
 苦しくて自分の爪で掻き毟るのはわかる。でも苦しいのにわざわざ石を拾って〜なんて事するのかなあと疑問に思ってしまったんです。
 わざわざ石を手にしたからには「息苦しさから結果的に首を傷付ける行為をした」のではなくて、「意図的に首を傷付けたくなる、或いは傷付けざるを得なくなったなんらか理由があった」のではないかと考えたからなんですが……。

 が、今回の用語集を読んで、ラボナール説をちょっと捨てきれなくなりました。
 本編では薬物が検出されなかったと述べられていた。対して今回、薬物の可能性が完全に否定されるわけでもないと公式に述べられたわけだ。
 となると物語中に実際に名前が登場し、かつ富竹さん事件を引き起こせる可能性があるこの薬物が投与された可能性がまたもや気になってきてしまったわけで。うーん、富竹さんの健康状態が明確でない点と、「石」の件さえクリアできればなあ。

 ■鷹野さんとカメラ
 写真撮影が趣味で富竹さんと付き合ってるというカタチになってるみたいですが、鷹野さんひとりで居る時にファインダーを覗いている場面を見かけることはないようで。とすると彼女が写真撮影を趣味にしているという話は、

 ・意中の人(富竹さん)の気を引くために相手と同じ趣味を持つと偽った
 ・同じ趣味を持つという設定にしておく事でふたりで行動している場面を頻繁に目撃されても不自然だと思われないようにする為
 ・富竹さんを利用するために近付くにあたっての口実


 取り敢えず想像できるのはこんなところだろうか。一番目はまあかなり好意的解釈なんですが、一番無さそうだ(笑)

 ■雛見沢症候群
 実は二種類存在していたという。
 これまでにプレイヤー側に知らされていた物は甲種。雛見沢の人間ばかりがまるでこぞって奇怪な死に方をしたりするという。
 多分、これは本当に祟りという超常現象が存在するという事じゃなくて、厚生省の推測通りPTSDに起因するモノであるというのが正解なんじゃないかという気がする。私も祟殺し編をクリアした後に雛見沢症候群に関して色々考えた結果、恐らくこれ以外に比較的現実的な仮説はありえないんじゃないかという結論に至りました。

 恐らくオヤシロさま信仰がいわば潜在的に抱えていた爆弾で、大災害の発生がそれに火をつけた結果精神面に生じた諸症状を原因とするモノ。
 普通ならば祟殺し編や用語集にて述べられていたような奇行に走る事などない。が、大災害のインパクトが強烈過ぎて、同じ雛見沢出身である自分も祟られると信じきってしまい、普段なら気にしない日常の些細な出来事を自分に対する祟りの予兆だと捻じ曲げて解釈するようになり、精神的に磨耗していき、最終的には……と。

 そう考えると、祟殺し編終盤にて圭一にインタビューしていた記者が圭一の予言通りに死亡するという奇怪な事件も、雛見沢症候群の甲種のような例にあたると解釈する事も出来るかもしれない。
 予言通りの結末を迎えるまでにかなりの時間を要したのは、記者が雛見沢住人のオヤシロさま信仰ほどには圭一の予言を信じてはいなかった。が、圭一のあまりの異常な様子が強烈に印象に残り(インタビューの様子からして彼に気圧されていたように思えなくもなかった)、何年もかけてその微かな不安が心の片隅で成長し、ある日なんらかのきっかけで……とか。

 また、鬼隠し編の圭一の自害も或いはこれが原因であったと解釈する事もできるかも? 上で述べた記者が圭一の予言をなぞってしまったように、圭一も富竹さんの死をなぞってしまったとか。
 そして彼のみならず、本編にて「祟り」を経験したと思われるレナや悟史、そして詩音も、祟られていたのではなくて雛見沢症候群にかかっていたとか?
 この辺はもうちょっと突っ込んで考えをまとめてみたいところ。

 次に今回明らかにされた乙種。
 いわば魔女狩りですが、これって先に甲種に該当するかもしれない例として挙げた詩音、彼女に関して言えば目明し編での行動を見る限りこちらにも該当するかもしれないと思った。
 或いは先日まで仲間だと思っていた人間が敵かもしれないと疑心暗鬼に陥っていた鬼隠し編の圭一も該当するかも?

 思ったんですが甲種にせよ乙種にせよ、本編に登場する人物たちの何人かはこれらに該当すると仮定して考えてみると或いは何かが見えてきたりはしないもんだろうか。
 しかも、誰かが甲種で誰かを乙種だと思っていたり、誰かが乙種で誰かを甲種だと思っているが、甲種が乙種であると思っている人が本当に乙種だとは限らないし、その逆もありうるかもしれない。
 もしかしたら見当違いの推測かもしれないが、一応メモしておく。
 そういえば、鬼隠し編の部活動として行われたゾンビ鬼(鬼が交代制ではなく感染拡大型の鬼ごっこ)ですが、これも甲種と乙種のやりとりの縮図であったようにも思えるかも……? そのように解釈するとやはりこの雛見沢症候群が何かのヒントになっているという考えが正しいような気がどんどんしてくる。

 ■Frederica Bernkastel
 今回の彼女のコメントから明らかにされた事をまとめてみる。ビジュアルファンブックとモニタを交互に見るのがめんどくさいという人はFrederica Bernkastelの詩にも転載してありますんでどうぞ。

 ・読み方は「フレデリカ・ベルンカステル」
 まあ、一応。

 ・古手梨花とは全然別と本人談
 という事は少なくとも彼女は古手梨花という存在を知っているという事になる。これは確定と言えるだろう。

 また、「全然別よ」という言い回しが気になるような。はっきり「別人」とは言ってないんですよね。だから例えば二重人格だったら両者は「別」だが「別人」ではないと言える……かもしれないけど解答がそんな簡単なもんだったりするかなあ、とも思ったりする。
 けれど暇潰し編の詩の「私をこれから殺す犯人は誰?!」という箇所と暇潰し編の内容を考慮するに、やっぱり二重人格なのかなあ……。でもこれはそう思わせるための叙述トリックだったりするのかなあ……。

 私的捜査ファイルを見る限り、フレデリカが書いた詩も物語も、書き手は小さな少女であるかのように思える。仮に二重人格であるならばもうひとつの人格が表に出ている際にあれらが記されたという事になる。
 一方別人であるという解釈をするなら、梨花以外にあのような文書を残す可能性のある人物が居たという事になるのだろうか? それともあれらを直接書き記した人物は単にフレデリカの代筆をしただけだったとか?

 まあ結論としては色々な解釈ができますが結局のところはっきりした事はわかりません。でもまあ、いくつかの可能性は消去されて、ある程度回答を絞り込む事は出来たかもしれません。

 ・年齢は数えるのを止めた
 その理由は物凄く昔から生きているからで、=オヤシロさまであると連想させやすい言い回しだけど……直後にてそれは否定していたり。
 はて、では数えるのを止めた理由は一体何なのだろうか。ていうか実際の所何歳くらいなのか。口調からして少なくとも精神年齢は妙齢の女性って感じですが。

 ・オヤシロさまとも別?
 らしい。「失礼ね」という言葉の意図はなんだろう。フレデリカがオヤシロさまと同視される事が、両者の内どちら(或いは両方?)にとって失礼と解釈すべきなのだろうか。

 ・オヤシロさまはオヤシロさま
 と言っている。「オヤシロさまの正体は誰か」という考え方その物が前提として間違っているという事?

 ・「この子」なる存在
 「この子」の年齢性別素性等々一切不明。話の流れからすると=オヤシロさまと解釈できなくも無いが……。単に話の流れからしてオヤシロさまの話をするなら「この子」も決して無関係ではないが、だからといって「この子」=「オヤシロさま」というわけでもないとも解釈できる。

 ・「この子」は人見知りで怖がり
 梨花は人見知りってわけじゃないよなあ。取り敢えず、本編に登場したキャラで該当するキャラは思い当たらない。立ち絵の無いキャラまで考慮に入れるのは流石に……。
 というわけで現時点では素直に本編に直接登場しているキャラではないと解釈した方が良さそうな気がする。

 ・あなたの方が怖がり屋さん
 プレイヤー視点では本当は別に怖くなんかない何かを勝手に怖がっているという事を言っているんでしょうかね。
 また、「この子」は怖がりだから脅かさないで欲しいというあたりと合わせて考えるに、誰かが勝手にオヤシロさまだの祟りだのを怖がって恐慌状態に陥った姿の方がよっぽど怖いぞって事でしょうかね。

 でまあ最後にこのコメントを読んだ感想など。なんというか微妙な言い回しが多いような気がします。叙述トリックが使われてそうだなあと。ひょっとしたらただの勘ぐりすぎかもしれませんが。そのまま受け止めて良いのやら、良くないのやら。
 あとなんとなく思ったんだけどフレデリカと「この子」の関係は鬼隠し編の昔話に出てきた親子との関連はあったりするのかな?

 ■鉄平が帰ってきた理由
 祟りが怖くて逃げ出してたって話なのに、何故祟殺し編では愛人が居なくなったくらいで戻ってきたのか。そこに何か重要なヒントがあったり……とか思ってたらどうやら単に、彼自身は祟りなんぞ気にしていなかっただけであるようで。
 つまり、鉄平が祟りを怖がって〜というのは恐らく雛見沢の人間にはそのように見えたという事だったのだろう。

 さて、この話がそれだけで終わるのかというと……そうでもない気がします。鉄平にはそのような意図があったわけでもないのに雛見沢の人間にはそう見えた。そう思い違いをした。
 目明し編でも仄めかされている(と私は思ってる)ように、「ひぐらしのなく頃に」という作品内で起こっているいくつかの怪現象は、その現象に関わる人々の「思い違い」に起因するものではないかと。よって鉄平が誤解されていた件もその考えを裏付ける要素になるんじゃなかろうか。


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