らっきょとーく(2)

 らっきょこと空の境界(完全版)を読んで思ったことをツラツラと書いていくという。いつものやつです。
 例によって順番はテケトーです。

 その11 力を与えられた者達

 オルレアンの少女ことジャンヌ・ダルクの相手は騎士。超能力者の相手は魔。そしてジャンヌ・ダルクには当時の騎士の常識を覆す戦法、超能力者には魔の自然干渉法のルールにそぐわない超能力が与えられている。橙子さんが説明している通り、排除する対象のタイプに応じてそれらを倒すためだけの能力が与えられたわけですな。
 あ、ジャンヌ・ダルクが抑止力によって動かされてた人物だとはまだ確定していないんだったっけかな? まあいいや。とりあえずそういう方向で話を進めます。

 で、気になるのが力を与えられた者達のその後なわけです。ジャンヌ・ダルクはご存知の通り火刑に処された。超能力者などは混血との闘いで捨て駒にされていた。七夜にいたっては一族がほぼ全滅。
 …つまり、抑止力によって力を与えられた者達の多くは用を成した後はことごとく消えている。勿論その全てが、というわけでもないのですが。
 要するに、ジャンヌ・ダルクや七夜は必要なだけの成果を得た後は用済みとでもいうのか、今度は逆に彼らの方が排除されてしまっているのではないかと。通常の超能力者達に関してはまあ、現段階では人間単体では自然干渉法を超える力を発揮するのは難しいが故にその命を代償として対象を排除せざるを得なかっただけなのだろうけれども。

 橙子さんは排除する対象を倒すためだけの能力を与えると言っていたわけですが、それだけにとどめるのは今度は力を与えられた者が排除対象にとってかわられないようにする為だとも言っていました。
 という事はもしかしたら、何かの間違いで彼等が予想以上の力を得て存在し続けてしまった場合、今度は彼等が抑止力の排除対象になってしまう事になるのではないだろうか。
 ジャンヌ・ダルクや七夜が滅びたのも、不運にもそうなってしまったからだったという可能性もあるのでは、などと思ったり。


 その12 予測不能の邪魔者

 抑止力のやり口ですが、結論として「排除対象の予測を裏切る」というもので良いのかな? 排除対象と同種の、だがより強大な力を叩きつけるというような力技は基本的に行わない。と。やるとしたら最終手段である自然現象を引き起こして…というモノでしょうかね。こちらも排除対象の予測を裏切って事前に気付かせる事なくいきなり…というカタチだったのかもしれないけれども。
 その10で述べた"その時代における常識のルールから外れた知識・技術・能力"というのも結局はその法則にのっとってますね。
 荒耶のマンションとそのマンションの異常性に気付かせるきっかけとなった強盗と、通り魔の被害者となった女性。マンションと運の悪いふたり。この両者は魔との混血と超能力者の関係に似ていますね、そういえば。


 その13 なぜ観測されないのか

 ご存知の通り抑止力はその存在を観測される事無く事を成す。今まで霊長の抑止力のやり口に関してうだうだ考察してきましたが、それ以前に自身の存在を誰にも認識されないという大前提が存在しているわけで。

 しかしその気になれば自然現象すら起こせるほど強大な力を持つ筈なのに、常識のルールから外れた手段で対象を排除する、などというまどろっこしい事をしているのは何故か。
 単純に力だけで相手を叩きのめす事ができるのに、その力を用いることなく策をろうするなんてかえって遠回りな気もします。効率の良さで言うなら確かに後者の方が上なんだろうけれども確実性をとるなら前者だと思うんです。この辺に関する意見はまあ人によりけりでしょうが、少なくとも私はそう思うわけです。

 もしかしたら、力で叩きのめすという手段を用いると何らかの不都合が生じるからではないだろうか。そこで思い出したのがこの抑止力、そもそもが人類の無意識の統合体であるということ。
 もしも力で叩きのめすという行為を繰り返したらきっと多くの人間に観測されてしまう。観測される事によってその存在を"意識されて"しまう。それが抑止力にとっては致命的なのではないだろうか。
 例えば無意識の行動の例として"癖"というやつがある。ある人物には困った時に頭を掻く癖があったとしよう。この行動は意識されなければそのままだが、意識する事によって困った時でも頭を掻かないようにすることは可能。
 ならば抑止力は自身が観測される事によって、その力の源である人類に"意識されて"しまうとその力を大幅に失ってしまう可能性があるんじゃないだろうか。
 だからこそそれを避ける為に観測される事を避けているんじゃないだろうか? なんて。


 その14 人口が増えると?

 ふと思ったんですが、霊長の抑止力の力ってやつは、人口が増加したらそのぶん強力になるんでしょうかね、やっぱ。


 その15 超能力のエネルギー源は?

 超能力者はなんの魔術回路も用いずに超常現象を引き起こす。ならばその力の源はなんなんだろうか。
 魔術回路は用いていないのだし、そもそも魔術のような自然干渉とは全く別のシロモノらしいし。よって自然界に存在するマナを用いて発動、というわけではないんだろうなあ。

 霊長の抑止力から力の供給がある、ってのはどうだろう? 何度も書いてますが、大陸を滅ぼすほどの自然現象を起こせるくらいだし。力の供給元としては充分過ぎるほど。
 イメージ的には人類全体が発するエネルギーが1ヶ所に溜められていて、そこから少数の超能力者が力を受け取って用いている、と。オラに元気をわけてくれ! みたいな感じで。
 となると魔術師のケースと同じで、同じ能力者が増えると能力の精度が落ちるという可能性も考えられるかものかもしれませんな。
 まあ、現時点では超能力者の数自体が少なそうな上に、赤い鬼神でも述べられていたように人間単体で発揮できる能力はまだたかがしれているため、言わば供給元に大量のエネルギーが存在していても汲み取る器が小さいという状態であるが故に力の供給不足なんて現象は起こらなそうな気もしますが。
 
 もひとつ考えられるとしたら、人間が各個もちあわせている、マナとは全く違った未知のエネルギーって所でしょうか。これだとすると情報が足りなすぎるので話はここで終わってしまいます。むぅ。


 その16 藤乃の力

 その15書きながら思ったんですが、藤乃の歪曲って最終的にデッカイ橋を丸ごと捻っちゃってますよね。
 うーん、人間単体で出せる力は弱いって話、藤乃に限って言えば例外ということなんだろうか。藤乃は霊長の抑止力から大量に力を汲み取れるだけの器の持ち主であるか、或いは彼女単体でそれだけ強大な力を発揮できるのか。

 もしかしたら浅神の、人間をこえた人間を作り出すにあたってのコンセプトというのは、基本的に力が弱い筈である超能力者の"例外"を作り出す、というモノだったのかも?
 つまり、エネルギーのキャパシティーの馬鹿でかい人間を作り出す、とか。
 或いは逆に、エネルギーのキャパシティ自体は通常の超能力者と同等でも、燃費効率が馬鹿みたいによろしいとか。
 魔術師の例でいうなら前者は魔力キャパシティが通常の魔術師の100倍あるというシエル先輩、後者は通常の魔術師の100倍ほど魔力の燃費がよろしいという青子先生ですかね。
 ひょっとしたら歪曲という能力自体が燃費の良い能力だという可能性も?


 その17 藤乃の力(2)

 ああ、その16で歪曲という能力自体が燃費ヨロシイノカとか最後に書きましたが、今ふと思ったんですけど、歪曲も直死みたいに万物には歪曲させやすいポイントみたいなんがあってそこに…なんて考えたんですが、どうだろう。
 …やっぱ違うかなあ。藤乃は任意に支点を定められたようだし。
 ともかく何が言いたいのかというとですね、能力者のエネルギーのキャパシティが馬鹿でかいとかにせよ燃費がよろしいとかにせよ、それは結局力技で強引に対象を捻じ曲げてるって事になる。
 けどなんか、そういうんじゃないような気もしないでもない。上で"ポイント"の話なんかしだしたのはようするに、直死が線や点に限定されるという"条件"をクリアしてしまえば腕力などなくとも容易く対象を殺せるように、歪曲も何らかの"条件"が存在していて、それをクリアすることによって力を用いずともモノを歪曲させる事が可能、とか。いわばモノを歪曲させるための裏技みたいな。
 歪曲させるには対象となるモノの硬さより大きさの方が問題になるっていう、あの学者さんの言葉も気になるなあ。


 その18 カラ

 単に"空"のことかと思ってましたがどうも"殻"という意味が当てはまる個所もあるなー。と。肉体という器として殻。なんか色んな意味をコメテルっぽいですね。もしかしたら他にもあるんだろうか。


 その19 式は何故脱出できたのか

 や、空間の死を見つけ出して切り裂いたから、ってのはわかってるんですよ。ここで取り上げるのは下巻101ページでの説明文。あの無限・有限云々とややこしいところです。
 あれをなんとか説明できないもんかな、と自分なりに悪戦苦闘してみた次第。で、正しく説明できてるのかどうかは…ていうか自分はちゃんと理解できてるかどうかすら怪しいんですが。まあともかく。いきます。

 まず、無限の内側に有限は存在しない。…というのは有限の壁が物理的に存在してないという事なんじゃないだろうか。
 よって無限の空間の中を前後左右上下どちらの方向に移動しようとも、xyzで示される座標の値をどう変化させようとも有限の壁のある場所になど到達しえない。

 にもかかわらず式は無限から有限を視つけだしたという。これは何故か。

 ここで式の能力の話になる。直死は対象を物理的に殺すものではない。直死によって殺されたモノはその意味を殺される。つまり直死は概念を殺す。
 そしてもうひとつ、この101ページでの無限・有限に関するムツカシイ話がでてくる。
 無限が無限たりうるのは有限という概念が存在しているが故。そもそも有限という概念が存在しない限り無限という概念もまた存在しえない。二元論てやつですかね。

 結論。つまり式は無限の空間の中に存在している有限を切断したのではない。というかそもそもそんなもの存在しない。彼女が切断したのは無限という概念が成立しうる為に同時に存在している筈の有限という概念を視つけだし、これを切断したのでは?


 その20 ありえざるもの

 時々きのこさんの作品でみかける"ありえざるもの"という表現。式や志貴、それに橙子さんが視ることのできるモノ。"見る"というよりは"視る"モノ。
 今まで私はこれを常識で考えると確率的にそこにありえざる、つまりそこに存在する可能性が低いモノであって、だからこそ普通は見えないのだと考えてました。
 例えば死の線や点というのはその場でそのモノが死ぬ可能性を視覚情報に置き換えたもので、大抵のモノは普通にしていれば死ぬ可能性が低いので通常なら見えない、というふうに解釈してたんですが。
 その19を書きながら思ったんですが、どうもこれだと間違いっぽいですな。まあ、どうもしっくりこないなと薄々思ってはいましたし、ツッコミどころもあるのですが…。

 実際にはこれは、概念上は存在しているが物理的に存在しているわけではない。物理的には"ありえざるもの"、という事なんでしょうかね。
 だからこそ物理的な干渉手段しか持たない人間ではそれに干渉する事ができない。臙条巴が式の攻撃した荒耶の死と同じ場所を攻撃しても効果が無かったように。
 そういえば直死の魔眼で視た線や点の場所を他人に教えてふれさせたらどうなるのか、という議論は過去に何度となくされてましたが、ここにようやく解答が出たわけですね。

 一方鮮花が妖精に物理的に接触できたのは…あれはなんらかの手段で普通の人間の目には見えないようにしているだけで、確かにそこに物理的に存在しているから、かな?
 橙子さんの説明からもわかるように妖精は生命体だし、使い魔としての妖精もなんらかの生物を前身としているようだし。


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