らっきょとーく(1)

 らっきょこと空の境界(完全版)を読んで思ったことをツラツラと書いていくという。いつものやつです。
 例によって順番はテケトーです。

 その1 巫条ビル

 さて、冬コミで無事完全版を入手できたわけですが、プラスディスク収録分にも少々手が加わっているとの事なので、改めて最初から読んでみました。なんでせっかくだから前述の範囲を読みなおして思ったことも書いてみようかと。

 で、巫条ビル。これ、固有結界なのかな?
 なんだかあそこだけ異界と化しているような感じですからね。時間の流れがおかしいですし。まあ、固有結界であるという裏付けはあんまりないんですが…。
 それはそうと、式が「熱湯と氷水がぴったりと向き合っている感じ」とか言ってたのがちょっと気になります。これって"両儀"と感じが似てないだろうか。


 その2 4チャンネル

 通常、自身の肉体を動かす筈の脳波が外界の物体を動かしてしまうというチャンネル。最初はこれがPKなんかな、などと思ってましたが、どっちかというと感応能力に近いかなあ?
 自身の肉体を動かす筈の脳波が外界の物体を動かす。てことは、自身の肉体を動かすのと同じ原理で外界の物体を動かすのだと考えた方が良い。
 人間は自身の体を動かす際にはそう動くように体の各パーツへ指令を与えている。PKで強引に動かしているわけではない。だから4チャンネルは感応能力の方に近いんじゃないかと思ったわけなのです。

 といっても感応能力に「近い」であって、そのものとは言いきれないのは月姫での翡翠・琥珀がやってたことの基本が体力の供給だったからなんですけどね。肉体操作とエネルギー供給は違うもんなあ。
 それに操作といってもあちらは能力の強化及び眠っている能力を覚醒させるというものであって、運動機能までも支配してはいませんでしたからね。感応能力を極めちゃうとそこまでできるのかどうかは謎。

 で、ここまで書いてふと思ったんですが、巫条霧絵の能力ってこの4チャンネルだった可能性もあるかなあ、なんて。翡翠・琥珀の家も巫浄の分家筋ですし。彼女が感応能力と似た能力を持っていても不思議は無い。
 ただ、きのこさんがらっきょの巫浄は超能力ではなく魔術師の家系だと言ってたので違ってそうな気もしますけどね。


 その3 増えた伏線

 あらためて読みなおさないと気が付かなかった事ですが、荒耶宗蓮の存在をほのめかす伏線が増えてましたね。例えば巫条霧絵は自分の治療費を払っていた人物の名前はお坊さんみたいな難しい名前だったので忘れてしまったという所とか。


 その4 白純?

 伏線で思い出したのですが、臙条巴が住んでいたマンションの住人一覧の中に「白純」があって、アレ? って思って読み返してみたら…やはり、殺人考察(前)で同じ姓の人物が名前だけでてきてましたよ。
 たまたま同じ名前…という可能性もなきにしもあらずですが、作者がきのこさんですから、と勘ぐってしまいますよ?(笑)
 というわけで解答を知るために早く下巻を読みたい。なのになんで俺はサイト更新してるんだろう。


 その5 混血の天敵

 両儀・浅神・巫淨・七夜。月姫において魔や魔との混血の天敵とされていた四家ですが、そのうち七夜が退魔を生業としていた事から四家とも退魔の一族なのかと思われがち。なんですがよくよく考えてみると七夜以外もそうであるとは明言されてないんですよね。だから私は四家全てが退魔の一族であるとする考えには懐疑的でした。
 それに橙子さんの話だと両儀・浅神・巫条(巫淨)は人間をこえた人間を作るのを目的としていたらしいですしね。
 ただそういった人間が作られてきた結果として魔や魔との混血に対抗しうる勢力となり、実際に戦闘にも参加していた可能性はあるかもしれない。
 浅神に専属の闇医が存在していた事もその裏付けになるかも。ただし戦闘においての怪我人の治療ではなく人間をこえた人間を作り出すという目的の為に必要だったとか…或いは事情が変わってそういった人間の能力を閉じるために必要になっただけかもしれませんが。

 どっちにせよ両儀・浅神・巫条が魔との戦闘に参加していたとしてもそれが彼等にとって最重要事項であったとは限らない、というのが現時点での私の考えです。
 逆に、魔に対抗するという目的で人間をこえた人間を作る為に試行錯誤を繰り返していたという可能性もありえますけれども。


 その6 巫条

 月姫の時と違って巫淨は「巫条」と書かれてますね。浅神の分家に浅上が存在するように、巫淨の分家が巫条なのかな、とも思いましたが…先の橙子さんの話では巫条は両義・浅神と同列扱いだったような気がするので分家という感じはあんまりしないですね。
 それにきのこさんがらっきょの巫条は月姫とは設定が違っている、と言っていました。字が違うのはもしかしたらその辺に関係しているのかも?


 その7 両儀の能力・両義の式

 あからさまに超常的な能力では世間から抹殺されるという可能性があるから一見そうは見えない超能力を考え出した、という事らしいですね。そしてその能力とはソフトの切り替えによって好きな分野のプロフェッショナルになれる、というものらしい。
 七夜とはいろんな意味で逆ですな。七夜はその能力を隠すのでなく逆に強大な力を持った組織に売り込み、その庇護をうける事によって立場を安定させた。そしてその能力は退魔に特化されたもの。たったひとつの事をひたすら研磨した結果。

 さて、そんなわけで両儀の能力は勿論直死の魔眼ではないどころか、七夜のようなありえざるものを視るという能力でもない事がわかりました。
 両儀とは太極から生じたふたつの対立物。太極とは万物の根源。両儀式は両儀の式。両儀の式神。式は数式の式でもある。いわばプログラム?
 つまり、両儀式、とは太極(根源)からの命令を実行するプログラム、命令通りに動く式神、という意味だろうか?

 だとすると人間の意思の統一存在との関わりが気になってくる…。


 その8 式と志貴の直死

 ともかく式が直死を得られたのは元々カラの人間であるがゆえに、その中に詰めこまれるモノ次第でどんな存在にもなれる可能性を有していたからこそ、死を体験したことによって死を理解するプログラムが詰めこまれた結果である、という事なんでしょうかね、多分。
 元々直死に近しい才能を有していた志貴と違い、式の場合は何も無いが故になんでも詰めこめる才能を有していたからこそ直死をも得る事ができた、という事なのかも。

 もちっと具体的に言うと、ありえざるモノを視る眼とそれを理解できる脳を有していた志貴は死を体験することによってありえざるモノの内、"死"というモノにチャンネルがあってしまった。
 対して式はソフト次第でどんな存在にもなれるという、彼女自身はカラの存在であった。そして死を体験した結果根源と繋がってしまい、死を理解するプログラムを得てしまった。
 ちなみに志貴の直死を紛い物扱いする人はその論拠として志貴が既存のモノの使い方を変えてオリジナルと同じ機能を得たのに対して式はそのままオリジナルを得たという事を挙げるんでしょうけれど、私の場合は機能が同じであれば成り立ちがどうあれどちらも本物だと思ってます。だって成り立ちが違ってたところで結果として生じたモノは同じなんですから。

 また、両者の違いは真贋の違いではなくて能力のレベルの違いでしかないのでは。なので、式が志貴より数段上の直死の持ち主であるという点は直死の真贋の違いの理由にはならないでしょう。
 例えば、同じF1のマシンでも優勝したチームのマシンと最下位だったチームのマシンとでは恐らく性能差があると思われます。が、だからといって後者はF1マシンの偽物といえるのでしょうか?
 「偽物=本物に性能で劣る」という事が成立するからといって、必ずしもその逆「本物に性能で劣る=偽物」は成立しないのではないか。つまりはそういう事です。

 それから、両儀式という名前から彼女の直死の方が優れているという理由は、彼女がカラであるからソフト次第でほぼ確実にその分野の頂点を極められるからであり、志貴の方はそこまで至る事ができるかどうかは元から持っている才能に拠る、という事なのかな?


 その9 抑止力・アラヤの怪物

 真祖がカタチを持ってしまった抑止力、と白本青本に書いてあったので、なんとなく抑止力の本来の在り様ってのはいかなるモノか想像はついてました。けど、大陸を滅ぼすほどの天変地異を起こすってのは予想外でした。
 や、起こせるだけの力は持ってそうですが、実際にそれをやるとは思ってなかったんです。あくまで人類の無意識下に働きかけて行動をコントロールしたり、特定の人物に何らかの力を与えるだけかと思ってたですよ。黒子みたいなイメージで、あからさまな行動はとらないんじゃないかなと。まあでも、前述の天変地異なんてのは最終手段なんでしょうけどね。やっぱ。

 さて、歌月でロアが言ってたアラヤの怪物ってのは霊長の抑止力に関係があるっぽい。で、このアラヤの怪物、単にヒトの無意識の集合体を指してそう呼ぶのか、はたまたガイアの意思が生み出したガイアの怪物のように、ヒトの無意識が生み出したカタチを持った抑止力なのか。
 後者かなあ? ロアの言葉から察するにヒトの無意識=アラヤの怪物ではなさそうだし。
 かといって自然が真祖・ガイアの怪物のようにその意思を代行するあらたな生命種を誕生させるのはわかるとして(ガイアの怪物の方についてはまだハッキリとしない部分が多いのですが、とりあえず)、ヒトの無意識がヒトならざる存在を新たに生み出す、というのも不自然な気がする。
 とすると、超能力者か?
 しかし超能力者は複数存在するので「アラヤの怪物」というふうに単数形で呼称されている事とつじつまが合わない。ということはやはり両義式のような存在がそうなんだろうか…?
 あんまり自信はありませんが。


 その10 ふたつの抑止力

 世界と霊長の二種類存在する事はわかりました。今回はこれらの特徴についてまとめてみます。


 【目的】

 世界:地球を死に至らしめる要因を排除。
 霊長:霊長を滅ぼしうる要因を排除。

 現在のところはたまたま人類が地球を支配しているため、両者の目的が一致しているだけのようである。つまり、世界にしてみれば人間社会の存亡が星そのものの存亡に直結しうる状況下にあるが故に、結果的に人類を守るカタチとなっているだけ。決して両者が協力しあっているというわけではない。
 なお、抑止力という呼称からもわかるようにあくまでやる事は要因の排除のみであり、世界なら世界にとって、霊長なら霊長にとってプラスになるような行動を進んで行うという事はなさそうです。基本的には不干渉?


 【その為の手段】

 世界:詳細不明。現時点では救世主とよばれる星の意思の代行者を生み出して要因の排除にあたる事が明らかにされている。
 どうも世界の抑止力が生み出したものは救世主、霊長の抑止力が生み出したものは英雄と区別されてるような気がします。
 個人的にはガイアの怪物ことプライミッツマーダーもこの代行者ではないかと思っているんですが…真相は未だ不明。
 霊長:基本は特定の人物に目的達成の為の能力を与えるというもの。対象となった人物は英雄と称される。が、それは過去の話であり、霊長の危機がそこかしこに存在している現在では知らないうちに抑止力に突き動かされ、結果として危機を回避しているなどという事はザラで、そうそう英雄とよばれる存在は現われない。
 また、以上のように人を媒介とするために表面上は抑止力なるものが働いたかのようには見えない。これは世界の抑止力が生み出した救世主に関しても言える事かな?
 排除対象が人類の手に負えない場合に限り、自然現象を引き起こして排除にあたる場合もある。
 ちなみに目的達成の為に与えるモノはその時その時によって違うようだが、超能力者とオルレアンの少女の例から察するに、"その時代における常識のルールから外れた知識・技術・能力"という共通点があるのではないかと思われる。
 ひょっとしたら超能力者も遥かな未来の世界の常識下においては、現在のような理解不能な存在ではなくなっているかも。


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