何故守護者は後手に回るのか

 凛ルートでの凛の以下の言葉。

 >だって、英霊が呼び出されるという時点で、そこは死の土地と化しているんだから。

 >英霊、守護者が現れる場所は地獄でしかない。


 この言葉からもわかるように、守護者が現れるような状況とはホトンドの場合手遅れとなってからであり、実質その仕事はそれ以上の被害拡大を防ぐ為のその場の後始末であるようだ。
 恐らく抑止の守護者が動くという事はカウンターとしてそれだけ大きな力が必要とされている事態である事を意味し、故に発生した事件は本当に危険な物に限定されるのだろう。

 この点に関してひとつ疑問に思った事がある。空の境界においての霊長の抑止力に関する説明から受ける印象との違いである。
 こちらによると危険を察知する能力はかなり高い。むしろ大事になる前に早めに手を打っているように思えた。対してFateにおける守護者は後手に回っており、この点において異なっている。

 この疑問に関しては桜ルートにおける言峰の反英雄に関する解説と、「影」が初めて登場した後のアーチャーの言葉からある程度辻褄の合う解釈ができるかもしれない。

 >……人が生み出したモノでありながら、決して人の手が混ざらず成長するモノ。
 >その矛盾こそがあらゆる抑止の圧力を免除される“世界の敵”である


 まずはこの言峰の、反英雄に関する解説。「抑止の圧力を免除される」と、彼は述べている。これは素直に解釈すればソレに対して(少なくとも成長中は)抑止力が発動しないという事を意味しているのではないだろうか。

 >……ふん。サーヴァントとして召喚されたというのに、結局はアレの相手をさせられるというワケだ
 (中略)
 >そうか。君はまだ守護者ではなかったな。ではあの手の類と対峙した事はなかろう。
 >……まったく。何処にいようとやる事に変わりがないとはな


 次にアーチャーのこの言葉。その内容から察するに、専ら守護者が戦って来た相手はアンリマユのような手合いであったらしい。
 それどころかセイバーへの言葉から察するに、守護者でもなければそのような手合いと対峙した経験のある者自体ほとんど存在しないという解釈すらできそうである。
 それも当然かもしれない。本編で述べられていた通りの存在であるのならば、守護者が呼ばれた後には生存者など存在しない。ならば彼らが戦った相手を目撃した者も誰一人生き残ってはいないという事になる。
 よってアンリマユのような手合いを直接知るモノは、ソレと直接戦った彼ら以外には実質存在しないに等しいのかもしれない。

 そして言峰とアーチャーの言葉を総合して推測するに、反英雄は人が生み出したモノであるが故に、最終的には霊長の抑止力が働く。しかし人の手が混ざらず成長するモノであるが故に、成長中の段階ではその監視の目には届かない。だからこそ甚大な被害が生じて初めてその異常が察知される事となる。
 そしてこれに対応する為には通常の方法では間に合わない。故にこのような事態に際しては、専ら守護者が駆り出される事になる。恐らくはそういう事だったのではないだろうか。

 結論として守護者とは、抑止力と呼ばれるモノの中でも特に「反英雄と呼ばれるような存在の活動のように、事前に察知する事が困難かつ大きな危機」に対するカウンターとして行使される事が多いが故、結果的に後手に回る事が多い存在といえるのかもしれない。

 私は最初、Fateにおける抑止力と空の境界における抑止力の在り方が違うのだろうかと疑問に思ってしまっていたわけであるが、それはFateにおいては主に抑止の守護者に関してのみ語られていただけで、抑止力という物の全てについて語られてはいなかった事から誤解していた為だったのだろう。


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