共融能力と共感能力

 この文章は私がTYPE-MOONさんのネタバレ掲示板に投稿した記事を元に再構成したものです。

 共融によって繋がっている四季が感じた痛みなりを志貴も感じている。これはつまり共融能力には共感能力と同様に痛みのフィードバックを伴うという特徴があるからではないかと考えている人もいるかもしれない。

 だが改めて考え直してみるとそうではないという事がわかる。そもそも志貴達の例において共融能力によって繋がってるのは命であって脳ではない。痛みに限らず視覚・聴覚など様々な情報が志貴に流れているのは別の要因によるものだろう。
 恐らくその要因とはシエル先輩が夜の校舎での戦闘後に説明しているとおり、志貴の脳の回線が常人よりも広いという事であろう。シエル先輩は双子の一方が傷を負うともう一方も痛みを感じるという話を例として挙げていた。そして志貴の場合、なにも双子でなくとも自身と近い人物の脳であれば繋がる可能性があるとも言っている。
 恐らく命を共融しているために血縁のない四季と繋がってしまったのだろう。秋葉と同じ夢を見た事に関しても同様である。

 また、四季側からも志貴の情報が流れているととれる描写がある。恐らく彼も同様に脳の回線が広いのではないだろうか。遠野の人間は普通ではないのでその可能性は充分あり得るだろう。
 四季が志貴の殺害衝動に引きずられる事を槙久が恐れたのは、共融能力は共感能力と同じ特性を持つと思っていたからではなく、四季の脳の回線が広いから結果としてそうなる可能性があると考えていたためではないだろうか。

 もしかしたらこのように、脳の回線が広いなどといった要因から他者の脳と繋がるという現象を発生させる能力を指して共感能力と呼ぶのかもしれないが、断言は出来ない。

 共融能力によって命だけでなく脳をも共融する事が可能かどうかは不明である。が、仮にそれが可能であったとしても今回の件とは無関係であると思われる。

 とにかくまとめると、今回物語の中で志貴達の脳が繋がってしまった理由は、「近しい人間」であれば繋がる可能性があるほどに脳の回線が広かった彼らが、たまたま共融能力によって命を共融してしまった事から前述の「近しい人間」という条件を満たしてしまったため、という事である。
 つまり共融能力は直接の原因ではなく、単に両者の脳が繋がる要因のひとつを作ってしまっただけであろう。


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