略奪の能力の覚醒


 秋葉ルートにおいては秋葉の略奪の能力は覚醒していないようである。何故ならこの能力が覚醒していたならば能力的には圧倒的に秋葉の方が上回るため、志貴を四季の攻撃から庇って背中に傷を負う事もなかっただろうし、後になすすべもなく四季にさらわれる事もなかった筈だからである。
 四季を殺した時などもその能力を行使してはいなかった事から四季によって遠野よりにされた後も覚醒していなかったものと思われる。
 単に略奪が高度な能力であるから人間としての知性を殆ど失いかけた状態では使用できないだけだったという可能性もあるが、終盤の戦闘において四季が

  「オレがなんとか呼びかけても大海に小石を投げるようなものさ」

 と言っているので、秋葉は四季によって遠野よりにはされたものの四季の力が足りなかったため略奪の能力が覚醒するには至らなかったのではないかと思われる。

 では何故翡翠・琥珀ルートでは能力が覚醒していたのか?

 四季は上でも触れた言葉のすぐ後に

  「秋葉の血を完全に呼び起こす為にはな、他人と感応する能力をもったヤツに秋葉の体を預けちまうのが一番いいんだ」

 とも言っている。この言葉から察するに秋葉の能力は琥珀さんの感応能力によって覚醒させられたのだろう。琥珀さんの感応能力は単に秋葉の能力を強化していただけではなかったようだ。

 では秋葉の能力を覚醒させるかどうかの分岐の要因となったのは一体なんだろうか。

 私は志貴だったのではないかと思う。
 翡翠ルートでは彼が四季に引きずられてひどい状態になった。彼の命を救うためには四季を殺さねばならず、どうしても能力を覚醒させる必要があった。
 琥珀ルートでは志貴に対する愛情から四季を殺す事を決心したと思われる。発作が起きた時に志貴に介抱されたのが決め手だったのかもしれない。

 なお、秋葉は琥珀ルートでの四季や"七夜"志貴との戦闘においてその圧倒的な能力を見せた一方で、戦闘技術・戦略・心構え等が未熟であるという弱点を露呈させている。これも秋葉の略奪は覚醒させられて間もないという事を裏付けているといえるだろう。
 何故なら能力を覚醒させなければ、それを利用しての戦闘訓練などできる筈もないからである。
 よって、今まで秋葉の能力は眠った状態のままであったが故に戦闘訓練は受けていなかったと考えた方が自然ではないだろうか。

 また、槙久は手記において秋葉が10年早く生まれていれば軋間の手を借りずとも…と悔やんでいたが、実際に七夜を滅ぼしてしまった後ではもう秋葉の能力を覚醒させて鍛える必要はなかっただろう。
 それに、彼にとって最も警戒すべき敵が居なくなった後では秋葉を鍛えるという行為はただ彼女に遠野よりになるというリスクを背負わせるという事にしかならない。
 槙久は自分の子供が遠野よりになる事は避けたかった筈なので、秋葉に戦闘の手ほどきをしたとは少々考え難い。


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