アルクェイドは
何故蘇生できたか

 この文章は私がTYPE-MOONさんのネタバレ掲示板に投稿した記事を元に再構成したものです。

 志貴の能力はいかなるモノをも殺す能力である筈なのに彼に殺されたアルクェイドは何故蘇生することができたのか。

 これは恐らく線を切られたにとどまったからではないだろうか。線は点を根源として流れ出す「モノの死にやすい部分」であり、あくまで「モノの死」そのものではなく、そこを切られたとしても本体の生死に関わらずその部分が死ぬだけである。だからこそどうにか蘇生できたのではないかと思われる。

 具体的には交差点での再会から追いかけっこを経た後の路地裏での会話からわかるとおり、まずパーツ同士を繋ぎ合わせようとしたが切断面近辺が「死んで」しまっていた為それができず、仕方なく比較的無事だったパーツから新たに体を再構成したものと思われる。
 アルクェイドルートラストでロアが足から体を生やすように再生していたが、イメージ的にはこれと近いかもしれない。とはいえこちらは復元呪詛である可能性も否定できないのであくまで見た目のイメージの話である。
 ちなみに切断されたパーツを繋ぎ合わせるよりも新たに体を再構成する事の方がより力を消耗するものと思われる。この事と志貴の攻撃によるダメージによってアルクェイドはあれほどまでに弱体化してしまったのだろう。
 神経が繋がっていないため意思の力で体を動かしていた、とアルクェイドが言っている場面があるが、これも前述の理由から完全な体を作り出す事ができなかったためなのだろう。


【01/7/7加筆】

 ネロ襲撃前のホテルでの会話から、アルクェイドの体に複数の点を繋ぐように線が見えたという内容のものがあった。という事は志貴は線を切断する際に点の上にもナイフを通した可能性がある。
 となると点をも切断されてなぜアルクェイドは蘇生できたのか、という疑問が沸いてくるわけだが、おろらくこの時志貴に見えた点はアルクェイドの死ではなかったのだろう。

 ある生物の死の点は生物一個体につきひとつであると思われる。666の生命の群体であったネロの死の点を見て志貴が驚愕していた事からもその可能性が高い。
 恐らくアルクェイドに見えた複数の点とはアルクェイドの体のパーツの死の点であったのではないだろうか?

 前回の考察では「線を切られてその周辺だけが死ぬにとどまったからアルクは無事なパーツを元に再生した」と書いたが、改めて考えてみるとこれでは線周辺部分の総体積は体全体の割合から見るとたいしたことがないので、体を再生してあそこまで弱ってしまうのは少々不自然である。
 対して17分割する際にナイフが点を通過し、その点が司っていた体の部位が丸ごと死んでしまった結果、再生により多くのエネルギーを消費したとするならば筋が通るだろう。

 では何故体のパーツの点が見えたか。
 志貴はアルクェイドの部屋に侵入した瞬間あっというまに彼女をバラバラにしている。もしかしたらあらかじめ彼女をそうやって殺そうと考えていたのかもしれない。
 ならば部屋に侵入する前から彼の脳にはパーツ毎にバラバラに解体されたアルクェイドがイメージされ、 無意識のうちに彼女のパーツ毎の"死"を見てしまった、という事もありうるかもしれない。


【01/10/1加筆】

 歌月十夜の「朱い月」にてアルクェイドの朱い月としての側面の言葉に以下のようなものがある。

 人間の霊体は肉につまっていなければ外気には耐えられぬモノ

 人間の、という言い方をしているという事からこれは裏を返せば真祖ならば同じ状況下でも長時間耐えられるという事ではないだろうか。
 今まで私はアルクェイドが本編中で志貴に「殺された」と言っていたのはあくまで比喩で、実際にはかろうじて生きていたのではないかと考えていた。しかし前述の通りだとすると、彼女は本当に「殺された」としても蘇生できるという事になる。
 ただしこの場合殺されたのは肉体のみ。よって志貴が視ていたのはアルクェイドの肉体の死だけだったのかもしれない。そして霊体(魂?)だけの状態になった彼女は、志貴によって殺された為に復元できなくなった肉体を諦め新たに体を作り直し、その新しい体に入って復活を遂げたのかもしれない。


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