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暗き島を護る者(後編)

 

   ***

「いい天気ですねぇ☆」

「そうですねえ……」

「こう言うのを、『嵐の前の静けさ』って言うんですかぁ?」

「かもしれませんねえ……」

「あ、そうそう、お茶でも飲みませんかぁ?」

「はい、頂きます……」

 どこから出したのか、お茶の入った湯のみを二つばかり取り出すと、ミルはその片方をルーシアに渡した。もう一つは自分の手元においてある。その湯のみの側面には、何を意味するのかは知らないが『寿』という文字が書かれていた。

 そして、二人でお茶をすする。

 二人とも何をするでもなく、甲板から海をぼーっと眺めていた。

 そう、海である。

 あの場所からどうやって出したのかは知らないが、朝になると戦艦〈ミルフィーユ〉はメリビアから少し離れた海の中に出ていた。ミル曰く、「魔法で飛ばしただけですよぉ」だそうだ。こんなデカイ船を飛ばすのは結構シャレにならないと思うが、結果がそこにあるのでまあ、信じるしかあるまい。

 それはともかく、船は例の島に向かうらしいので、ルーシアとミルは仲良く日向ぼっこをしているわけである。一応船はミルが動かしているのだが、「おーとまちっく操作」とかいう操作で、勝手に島に向かうらしい。世の中便利になったものだ。いや、これがずっと昔の船と言うことを考えると、『世の中便利になっていたものだ』かもしれない。

「あと、どれくらいで着くでしょうか?」

 こちらはこちらで『静』と書かれた湯のみを持ちつつ、ルーシアはミルに問い掛けた。

「えっとですねぇ、この速度で行けば明日にでも着きますよぉ。向こうもこちらに近付いているわけですからねぇ。まあ、のんびり待ちましょうよぉ☆」

 そう言って、お茶のおかわりをルーシアに勧める。

 またどこから出したのか、新しい湯のみを受け取ったルーシアは、ミルと一緒にズズーッとお茶をすすった。関係ないが、今度の湯のみには『清』と言う文字が書かれていたりした。

 お茶を飲むと、ルーシアは湯のみを持ったまま、ミルは湯のみを傍らに置くと、『ふう』、と息をついた。

 二人とものんびりしているが、船の速度はかなり速い。二人の髪が風になびくというか、髪が引っ張られるくらいに風が吹いていた。このサイズの船でこの速度は、ほとんど反則モンである。何が反則だと言われても判らないが。

「そろそろ、中に入りましょうか?」

 髪を抑えながら、ルーシアが言った。単に、髪が顔にかかるからである。

「え? どうしてですかぁ?」

「ほら、お茶がこぼれていますし……」

 ルーシアが指差した所には、『寿』と書かれた湯のみがお茶を撒き散らしながら、盛大に転がっていた。もっとも、元が湯のみだけに、いくら『盛大』と言ってもたかが知れるが。

「ああぁ〜! わたしの湯のみ、湯のみが〜!!」

 お気に入りなのか、ミルは慌てて湯のみを回収しに行った。しかし、やけに船が揺れるので、中々捕まえることが出来ない。あっちへ走りこっちへ走りとドタバタしていたが、やがて湯のみはルーシアの足元に転がってきた。それを無造作に拾うと、ルーシアはそれをミルに手渡した。

「ル、ルーシアさん、ありがとうございますぅ……」

 息を切らしながら湯のみを受け取り、ミルはルーシアにお礼を言った。もっとも、擬似的に存在する彼女がなぜ息を切らすのかは謎である。やはり年季の違いと言うやつか。

「中に入りましょうか?」

「うう、そうさせてもらいますぅ……」

 自分の船なのでそうさせてもらうも何もあったものではないが。

 湯のみで懲りたらしく、今度は二人ともさっさと船の中へ入っていった。

 

 船は広い。さすがは機械城に対抗しただけはある。無意味にだだっ広いだけの気もするが、その気になればルナ中の人を乗せられるような気がしなくもない。実際そこまで広くはないが、この船の大きさは殆ど度を越している。

 ともかく、こう広いとみんなして迷子になりかねないので、司令塔――要するに眺めの良い所――のみを使うことにしている。眺めの良い所、つまりイチバン高い所だ。

 

「へえ、すごいわねえ」

 窓からの景色に、レミーナが驚嘆の声を上げている。景色と言っても海ばかりなのだが、これが中々すごい。ほとんど直下に見下ろしているので、遠くの景色を眺める時とはまた違った趣がある。まあ、高い塔から地面を見れば似たようなものかもしれない。

「で、これからどーするの? またトランプでもする?」

 窓から振りかえると、レミーナは皆に問い掛けた。いや、既に手の上にはトランプが乗っているので、問い掛けたと言うかはちょっと疑問を呼ぶような。バルガンで負け続けたのを根に持っているのかもしれない。

「一応、作戦を立てていた方がいいのではないか?」

 それとなくレオが言ってくる。

 至極まっとうな意見ではあると思うのだが、どうもレミーナの気に召さなかったらしい。

「なによ? 逃げる気?」

「いや、すべての物事には計画性をもって進めなければだな……」

「そう、計画性がなかったからあたしは貧乏だったッて言いたいのね?」

「い、いや、誰もそんな事は言っていないのだが……」

 そこはかとなく話は横道。

 ヒイロはため息をついた。ルーシアはルーシアで、先ほどから窓の外を眺めたままだ。

「お茶もってきましたよぉ☆ ……あらあらあらぁ。皆さん、何かステキな具合の個性ですねぇ☆」

 お盆にお茶を乗せたミルが部屋に入るなり無責任にそう言うと、無責任に椅子に腰掛け、無責任にお茶をすする。

 ひとまず、お盆の上に乗っているお茶を一杯もらう。

 しょっぱい。どのくらいしょっぱいかというと、海水でお茶を作ったくらいに。

 ……がんばれ僕!

 自分にそう言い聞かせると、ヒイロは立ちあがった。何か非常にむなしい気もしたが。

「みんな、ちょっとイイかな? やっぱり、レオの言うように作戦は大事だと思うんだ。そこで僕は考えた。海竜は島へ行こうとするものを阻んでいる。つまり、島に何かあると思うんだ。そりゃ行ってみないと判らないけど、島へ行けば何とかなると思うんだ。だから、島へ行く方法を考えようよ」

 ヒイロは自分の意見を述べた。収拾がつかないときは強引に最後まで言う事が大事である。

 果たしてその願いが通じたのか、いつの間にか商売の基本を説いているレミーナ達も、こちらへと向いてくれた。

「ま、正論ね。だいたい、あんなバケモノ相手にしたところで、倒すのに何日かかるかわかったもんじゃないし。で、ヒイロ、何か島へ渡る手段でもあるの?」

 なんだかんだ言いながら、彼女はちゃんとヒイロの話を聞いていたらしい。

 さすが商売人。

 いやいや、ヴェーン魔法ギルド当主。

 などと遊んでいる場合でもなく、レミーナの問いにヒイロは明瞭かつ的確に答えた。

「いや、ないけど」

「それくらい考えときなさい!」

 べし。

 絶妙なタイミングでレミーナの手の甲がヒイロの胸をドつく。

 正直に答えてツッコミを受けるというのは、まあ自分に落ち度があったという事なのだろう。多分。天然ボケでもない限り。いや、誰かにうつされたかも。風邪のごとく。

 それにしてもいいツッコミだった。速さ・タイミング・手の角度、申し分なし。

 さすが漫才ユニットの相方。

 いい加減シツコイなと自分でも思いながら、ヒイロは話を進めることにした。

「なら、方法その一・転移魔法」

「却下。島のイメージがわかないから、失敗するかもしれないのよ」

「じゃ、方法その二・船で接岸して乗り移る」

「いや、あの島は周辺が切り立っているから、いくらこの船が高いといっても届かんぞ。その前に、海竜と渦がじゃまで行きつく事ができるかも疑問だが」

「結局バルガンだと行けなかったんだね……?」

「むう……」

「まあいいや。方法その三・ルーシアの飛行魔法でバシュッと」

「ごめんなさい、ヒイロ。自分を飛ばすことができても、人を飛ばすことはできないの。それに、あれは飛ぶのではなくて浮いているだけだから……」

「あ、そうなんだ……」

 ナゼみんな反論してくれるかなーなどと思いつつ、とりあえず万策尽きたということで。

 相変わらずお茶をすすっているミルに、ヒイロは聞いてみた。

「ミル、なにかいい方法はないかな?」

「ないですぅ☆」

 即答。

 質問の内容をちゃんと把握しているのかどうかはわからないが、やけに自信に満ちた声。いやまあ、そう自信まんまんに言われても困るのだが。

 とにかく。

 やけに塩味のきいたお茶を取りかえる事が先決と思い、ヒイロは椅子から立ち上がろうとした。

「ただ、いい方法はありませんけどぉ……ちょっとした冒険かな〜って思う方法はあるんですよねぇ」

 その言葉にヒイロは動きを止める。もう一度椅子に掛け直すと、ミルに向かって訊ねる。

「方法って?」

 既に答える準備はできているが、勿体をつけたいのかミルはあさっての方を向いている。

 この場合、実は言ってみただけというのがイチバン狙える。……不謹慎だって。

 ミルは固まったままだ。多分、もう一度促して欲しいのだろう。

 どうもそのようなので、要望に答えることにした。

「教えてくれないかな?」

「ああもう、しょうがないですねぇ☆」

 しょうがないのはどっちだろうと苦笑いしながら、ヒイロはミルの言葉を待った。

 しかし、すぐにその苦笑いが恐怖のひきつりへと変わる事となった。

「魔法の矢って、知ってますぅ?」

 チラッと横目でレミーナを見やると、額に指を当てて唸っている。どうやら察しがついたらしい。

 魔法の矢というのは言わば人を飛ばす大砲のようなもので、かなりの距離を移動する事ができる。種類があるかどうかは定かではないが、あったとしても働きは似たようなものだろう。もっとも、片道切符なので汎用性にはかけるし、飛ばした後の損傷いかんによっては使えなくもなる。だから見世物で使われるのだろう。それ以前に数が無いせいもある。

 魔法の矢といい、魔法のじゅうたんといい、大丈夫か魔法グッズ?

 ――もう一つ。ヒイロ達が昔に乗ったそれは、乗り心地が最悪だった。レオのせいもあるかもしれないが、あれにはもう二度と乗りたくないと思ったものだ。

 その、二度と乗りたくない乗り物の事が、ミルの口から出た。

 要をするに。

「あれを使えば島まで簡単に飛んでいけると思うんですよぉ、一瞬でねぇ☆」

「ヤダヤダヤダ! 絶対ヤだからね!!」

 レミーナの気持ちはわからなくもない。誰だって二度と乗りたくない、と思うはず。

「ダイジョウブですよぉ。改造してますから速さとか三倍くらいでますしぃ、よりいっそうのスリルが味わえるかと思いますぅ☆」

「だからスリルはいらないんだって!」

 二人のやり取りをしばらく見ていて、ヒイロは気付いた。

 ミルは天然ボケ入っている。二人を放っておけば、漫才になるのは時間の問題だろう。

 しかし、そういえばルーシアとレオは何も言わない。レオは乗った事がないからいいとして、ルーシアは先ほどからお茶を手に持ったまま、二人のやり取りを見ている。

 ヒイロはツツツーっとルーシアに近付くと(といっても隣)、すぐ側で耳打ちする。

「ねえ、ルーシアはどうなんだい?」

「え? なんのことヒイロ?」

「ほら、魔法の矢のことだって」

「ええ、あれなら少し距離があっても飛ぶことができるものね」

「大丈夫なのかい?」

「? 以前に乗ったものより速いのでしょう? ドキドキするわね、ヒイロ」

「…………」

 そうだった。

 ルーシアの感性って、こうだよ、うん。

 まあ、以前のは不慮の事故だったわけであるからして、それなりの心構えがあれば、それなりの対処もできるかもしれない。できればしたくないとは思うけど。

 ふう、と息をつくと、再びレミーナの方へ振りかえった。まだ口論をしているが、既に論点がずれているということは言うまでもない。

 適当に間を見つけて声を掛ける。

「レミーナ、諦めよう。他に方法は無いんだし。それともこっちに残るかい?」

「う……それは……」

 まあ、いまだに“おたから”の存在を信じて疑わない彼女にはしてみれば、残るという選択肢はないわけで。そこには自分で見つけるというこだわりがある。自分で発見したものだからこそ価値があるといえるのかも。

 実際そうなのかは知らないが、

「……まあ、いいわよ、もう。別に死ぬわけじゃなし、ね」

 取りもあえず、認めてくれた。もう半ばやけのような感じもしてくる。

 そんなこんなで、一応上陸の方法はまとまった。まとまったとは言っても、魔法の矢で飛ばすだけだが。

 よく考えたら、これ一つにやけに時間をかけたような気がする。

 そう言えば、みんなしてその場で考えるという人ばかりだ。良く言うなら臨機応変。

 まあ、いいか。

「じゃ、この辺で終わっておこうか。相手の事が良くわからない以上、もう考えれることもないしね。後は、まあ、各自の判断にまかせると言うことで」

 あまり考えても始まらないと思い、作戦会議――と言うほどのモノでもない?――は終わることにした。

 早速机の上にトランプを並べ始めるレミーナ。

 緊迫感ナシ。

 これでいいのかな……と思いつつ、そこに加わろうとするヒイロ。いいのかオイ。

 と、ふと思い当たることがあって、ヒイロはもう一度ミルに声を掛けた。

「僕らは島へ行くけど……ミルはどうするんだい?」

 良く解からないが、ミルとこの船は一緒らしい。ので、ヒイロ達と一緒に行くことはできない。

 お茶のお代わり(塩味)を入れていたミルは、入れ終わった湯のみを両手で持ったまま言った。

「ええっとぉ……わたしは海竜さんの相手をしないといけませんからねぇ」

 そう言って、お茶をすする。よくよくお茶のスキな娘だ。しかも塩味。

「いや、無理に相手をしなくても、僕たちが島に渡ったらそのまま引き返してもいいんじゃないかな? 例え勝てるとしても、無駄な争いをする必要はないよ、うん」

「ダメですよぉ。島の上にあがったところを狙われたら危ないでしょぉ? 大丈夫、足止めくらいなら問題無いと思いますから」

「そうか……うん、ならよろしく頼むよ」

 何か最後の方のしゃべり方が引っかかったが、ミルがそう言うので止めない事にした。確かに、陸の上にブレスでも吐かれたらことである。海竜が島に攻撃を仕掛けないと言う保証は無いので、その申し出は結構ありがたいかもしれない。

「はい☆ まかせてくださいねぇ☆」

 そして、ドンと胸を叩く。そしてむせる。

「ケホッ、ケホッ、ビ、ビックリしましたぁ……」

「…………」

 不安だ。とまあ、何かイイ感じになってきたので、問題は無いだろう、多分。

 そういう事で、雪辱戦に燃えるレミーナの所へ行く。ついでにミルも誘ってみたが、

「少しやらないといけないことがあるんですぅ……また今度いれて下さいねぇ☆」

 と言って、部屋を出ていった。

 何をするのかは気になったが、レミーナに勝負を迫られて、とりあえず部屋を出て行くのを見送った。まあ、船のチェックでもしてくるのだろう。

 再びトランプの前に向き直ると、レミーナが不適な笑いを浮かべて言ってきた。

「うふふふ、さあヒイロ! あの時の恨み、7.5倍にして返してあげるわ!!」

「中途半端だね」

「時間的に、あたしが全勝してもこれくらいだと思うの」

「あ、そうなんだ……」

 こういう会話をしているが、一番勝っているのはルーシアで。ナゼか強い。

 そして次にレオ。博打音痴だが、やり方が堅実なので意外と強い。あ、バルガンでやってないと言うツッコミはナシ。

 だが、そんな事はものともせずにレミーナは言い放った。

「さあ、勝負よヒイロ!!」

 なんだかなあ、と思いながらトランプを始める。

 ちなみに、その勝負は寝るまで続いた。戦績は……言うまい。

 

   ***

 あくる朝。

 誰に起こされるでもなく、雨の音でヒイロは覚ました。目を覚ますほどの雨と言うのだから、かなり激しい。

 朝なので本来はまだ薄暗いのだが、嵐の中にいるとあまり関係ない。

 というか暗い。

 かなり予定より速く、島の側へ近付いたらしい。予定では昼頃につくはずだった。しかしなぜ今が朝と判るかは――判るのだから気にしないということで。具体的に言うなら腹時計。

「スタンバイスタンバイ♪」

 なぜか妙なテンションでミルが船内を駆け回っている。

 それは置いておいて、ヒイロは司令塔へと向かう。何かものものしいので、展望台にしよう、うん。

 部屋へ入ってみると、そこには既にレオが来ていた。

 いつも通りにマントに剣、といういでたちで、窓の側に立っている。

 その目は一点に、そう、遠くにぼんやりと見える島へと向けられていた。至って真剣な表情だ。

「おはよう、レオ。調子はどうだい?」

 近寄って声を掛けた。その声にレオは反応すると、身体を半回転させてヒイロに言い返した。

「上々だ。矢でも鉄砲でも持ってこいと言うやつだな」

「今からその矢に乗るんだけどね」

「はは、違いない」

 そう言うと、レオは島が見える所をヒイロに指し示した。

「これで失敗すると、恐らくメリビアにつく前にあの島をどうにかする事は出来ないだろう。人々に恐怖を与えてはならない。刺激こそ与えど、だ。いいな、ヒイロ?」

「……ああ。そのためにも、僕達がガンバらないとね」

「そういうことだ」

 まだ島は遠い。もう少し進めば、海竜の出る地点だ。ランダム性はありそうだが。

 ルーシアとレミーナが起きてくるまで、二人は剣の手入れなどをして過ごした。合間に、お互いの技についてのちょっとした会話もした。

 しばらくすると、レミーナが入ってきた。少し顔が青い。

 船にでも酔ったのかと思い、ヒイロは声を掛けた。

「おはよう、レミーナ。大丈夫かい? 顔色が悪いけど……」

「あ、ヒイロ、おはよお……う〜、昨日の勝負の続きを夢の中でやって……」

「あ、わかったわかった。少し休んでなよ」

 そう言い終わらないうちに、レミーナは椅子に座って、机にグターッと頭をつけた。

 まだうなされているのでそっとしておく事にして、剣の手入れを再開する。

 ちなみに魔剣ガルシオン。魔剣だけに手入れなどしなくとも刃こぼれはないが、モノが使い手の意を汲むというのは良くある話だ。武器の良さにおぼれ、手入れを怠る者などにそれを使う資格はない。いや、使わせてくれない。そう言う者は、負けるのではなく、死ぬ。

 と、レオから聞いた。まあ、それを聞かずともヒイロなら手入れを怠ったりはしないだろう。

 手入れを終え、剣を鞘に収める。立ちあがって剣を腰にかけると、ヒイロはぐったりとしたままのレミーナに、もう一度声を掛けた。

「レミーナ、ルーシアはまだ寝てるのかい?」

「見てないから判らない……あたしの隣の部屋だから、起こしてきなさいよ、ヒイロ……」

 机に突っ伏したまま、器用に首だけをヒイロのほうへ向けると、レミーナはそう言った。

 そして再び机に顔をうずめる。

 レミーナは動きそうにないので、ヒイロはルーシアを起こしにいく事にした。

 

 部屋を出ると、つかつかと歩いて二十歩ほど。目の前のドアをノックする。

「ルーシア、起きてるかい?」

 しばらく待つ。

 反応ナシ。

 もう一度ノックする。今度は少し強めに。

「ルーシア、入るよ?」

 やはり反応ナシ。仕方ないので起こしに入る。

 ドアを開けて部屋に入ると、中は驚くほど静かだった。どうも、ヒイロが寝ていた部屋とは構造が違うらしい。確かにこれなら嵐でも眠れる。嵐の中で寝るとちょっと危ない気もするが。

 そして、部屋の隅にベッドを発見。近寄って顔を覗きこんでみる。

 ルーシアはスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。穏やかな寝顔だ。

 黙ったまま「グッ!」ッとこぶしを握ると、今度はルーシアを起こしにかかる。

「ルーシア〜朝だよ〜」

 起こすときの常用手段として、ふとんを引き剥がす・身体を揺らすの二種類がある。

 ヒイロは後者を選んだ。ふとんの上から手を押し当てると、ゆっくりと揺らす。

「お〜き〜ろ〜」

「ん……んん……ヒイロ?」

 パチパチと瞬きをして、自分を覗きこんでいる顔を見つめるルーシア。

「おはよ、ルーシア」

 揺する手を離すと、ヒイロはルーシアに声を掛ける。

 ササッと横によけると、ルーシアがベッドから立ち上がり、腕を上げて大きく伸びる。

「う〜ん……っと。おはよう、ヒイロ」

 そしてルーシアもヒイロに声を掛ける。良く見ると、ピンクのパジャマを着ていた。

 クルッと回ってルーシアに背を向けると、ヒイロは再び「グッ!」とこぶしを握った。

「? ヒイロ、どうかしたの?」

 不思議そうな顔でそれを見ていたルーシアが聞いてくる。

「いやいやいや、なんでもないよ。ほらほらルーシア、寝癖がついてるって」

「え? ……あ……やだ……」

 手近にあった鏡を覗きこんで、ルーシアが赤面している。実は言ってみただけなのだが、ちょっとだけはねていると言えばはねていると言えなくも無いかもしれない。

「ヒイロ、少し外に出ていてくれないかしら? あの……パジャマ、着替えたいから」

「あ、ごめんごめん。じゃ、外で待ってるね」

 実はパジャマ姿が恥ずかしかったのかなと思いつつ、ヒイロは部屋の外に出た。

 そして待つこと数分。

「お待たせ、ヒイロ」

 いつもの服を着たルーシアが部屋から出てきた。髪を洗ったのか、濡れた髪が光っている。

「ん、じゃあ、行こっか」

 寝起きのルーシアを連れて、ヒイロは司令塔とは名ばかりの展望台に戻った。手をつないでルーシアを引っ張っているのだが、まだ眠いのかムニャムニャと顔をこすっている。

 顔洗っても眠いのか、と、ヘンに感心したヒイロであった。

 

 部屋に戻ると、相変わらずレミーナはぐったりしていて、レオは剣の手入れを続けていた。

「レミーナ、レオ、おはよう」

 ルーシアが二人に声を掛ける。レオはそのまま「おはよう」と返してきたが、レミーナはぐったりしたまま、声を絞るように「おはよ……」と言ってきた。

 まだレミーナは良からぬ夢でも見てるのかなと思いながら、そんな事は気にせずにヒイロはレオに話し掛けた。ああいった時にはそっとしておくのがイチバンである、うん。

「レオ、まだミルは来ていないのかい?」

「うむ、先ほど部屋の前をパタパタ走る音が聞こえたのだが……」

 と言った矢先に。

 バン! と、やかましい音を立てて扉が開いたかと思うと、ミルが勢いよく入ってきた。そして勢いよくつまずいた。最後にお約束のごとくずっこけた。

 が、地面に当たる寸前に体を手で支え、やけに華麗に立ち上がった。お、やるな。

「準備完了ですぅ☆ ささ、早くいきますよぉ☆」

 やや強引なミルにせかされて、一同は魔法の矢がおかれている格納庫へと向かった。

 と言っても、この部屋の真上、らしい。

 

 格納庫、らしき場所。屋外だが、軽い結界で雨は届かない。

 魔法の矢が置いてあった。以前、カーニバルで見たものとさほど変わらない。ただ、基本色がシルバーである。ギンギラギンというわけでもないが、静かな輝きを放っていた。

 その時、前方の海が裂けたかと思うと、何かが現れた。

 黒い影に、赤く輝く二つの光。

 海竜だ。

「いいタイミングでくるね」

「迷惑なだけだけどね」

「まだ距離はある。今のうちに飛んだほうがいいのではないか?」

「え〜っとぉ……第参番基、主砲発射ですぅ☆」

 ミルがいきなりそう言うと、下に見える砲台の一つが火を吹いた。速度はやや緩め。

 海竜ではなく、島へと向かって弾は飛んでいく。

 しかし、海竜の横を通り過ぎる寸前、黒い影にはじかれた。おそらく尻尾。

 その様子を見たミルが言った。

「今のが矢の速度ですぅ☆ ……もう少し引き付けないと撃墜されますねぇ」

「え……本当に?」

 ヒイロが驚いたのは、矢の速度に。今のは確かに大砲の弾としては緩い速さだが、人がその速度に乗るとなれば、かなりの速さであると思う。以前に乗ったのとは比にならない。

 しかし。

 速いという事は乗っている時間も短いという事で、むしろ遅いよりマシかもしれない。

 とまあ、強引に自分を納得させて、みんなに声を掛ける。

「じゃ、乗っておこうか? ミル、後は任せるよ」

 そんなこんなで乗りこむ四人。前より一人少ないせいか、結構余裕で乗れる。

 そして、かなりの速さで影は近付いてきた。

 その間に、ミルは矢の角度やら、なにやらゴチャゴチャした計器類をいじっている。

「もう少し、もう少し……うん、距離よ〜し、角度よ〜し、目標、前方に見えるヘンなしま〜、魔法の矢、撃っちま〜すぅ☆ あ、衝撃にそなえてねぇ☆」

 黒い影はすぐそこまで来ている。

 それが船にぶつかると思った瞬間、矢は発射された。

「た〜まや〜☆」

 最期にミルのお気楽な声が聞こえてきた。何を意味しているのだろうとは思ったが、すぐにそれどころではなくなった。

 身体にものすごい力が加わったかと思うと、次に衝撃がきた。実際、大砲の弾よりも速かった、みたいだ。地面に突き刺さった形で、矢は静止していた。

 矢から這い出して、周りを見てみると、緑が生い茂っている。

 島に、着いたらしい。

 

***

 ミルは塔のてっぺんに立ったまま、矢が飛んでいくのを見送った。

 それは瞬時に見えなくなったが、ちゃんと島へは届いている。そうと判る。

 矢が放たれた瞬間、影の動きも止まった。あれだけの速度で動いていたものが、ほとんど慣性を無視して、船が当たる手前で止まっている。

 その影――海竜を見据えて、ミルは言った。

「わたしはウソツキですね。最初に撃った弾、あれと同じものがくると思っていたのですか?」

 そう言うミルの表情はやけに落ち着き払っていて、口元にはうっすらと微笑さえ浮かべている。そして、やや挑発的なまなざしで海竜を見つめていた。

 海竜にその言葉が通じているのかは判らない。二つの赤い目が光っている。

 ただ、音にならないような巨大な咆哮を一つ上げると、来た方向を戻ろうと顔を逆に向ける。

 その時、〈ミルフィーユ〉につけてある砲門全てが轟音を立てた。

 それが当たると、海竜は動きを止めた。いや、止められたと言った方が正解か。

 大小さまざま、全ての砲門の先から銀色のワイヤーが伸びている。そしてその先は、まばらに散る形で、海竜に突き刺さっていた。

 そのワイヤーは先端が中で開くようになっていて、引いても抜けないようになっている。

 百を越える銀の綱が、巨大戦艦と海竜を繋いだ。

「しょせん対人兵器、〈ミルフィーユ〉はあなたみたいなモノの相手をするように造られた船ではないんです。ですが、大砲と言うものにはこういう使い方もあるんですよ。取り付けるのは少し手間でしたけどね」

 昨晩の作業で、ミルは大砲にワイヤーを取り付けていたのだ。ヒイロ達からその海竜の特徴を聞いた時に、作戦はこれしかないと思っていた。

 しばらく互いに止まったままだったが、やがて海竜が力で引き剥がしにかかる。

 少ない数ならそれで表皮ごと引き千切って剥がす事も出来ようが、いかんせん、数が多いので力が分散して、〈ミルフィーユ〉と綱引きをする形となる。

 それでも、海竜はこの巨大な質量ごと引っ張って行こうとする。

「行かせるわけにはいかないんですよ。ヒイロさんたちの足止めもありますが……個人的に、あなたに負ける気はありませんから。わたしにも意地があるんですよ、ね」

 そう言うと、動力部が激しい音を立てた。

 すると、逆に海竜が引っ張られる。

「さてと……まずは力くらべですか?」

 そして、『足止め』と称する、ミルと海竜との対決が始まった。

 

 島は晴れていた。

 外から見ればどう考えても嵐だったはずだが、そんな事はおかまいなしに晴れていた。

 周りははっきり言って、手入れのされていない庭園のように草木が雑然と生えている。まあ、森とでも言ったほうが手っ取り早いかもしれない。

 それはそれで不思議なのだが、とにもかくにもで、ヒイロは他の仲間の安否を確かめた。

「みんな、大丈夫かい?」

 ふり返ると、レミーナがわさわさと這い出してくるところだった。それに続いてルーシアとレオも中から出て来る。

「う〜ん……なにが起きたのよ、一体……」

 どこかにぶつけたのか、頭をさすりながらレミーナがこぼしている。

「えっと、予想以上に矢が速かったという事で」

 味もそっけも無い説明を言うと、何か気付いたようにヒイロはポンと手を打った。

「あ、でも一瞬だったから、乗ってる間の恐怖はなかったね、うん」

 強引に自分を納得させた事が、ここで吉と出た。ような気がする。

 ただ、今の速すぎ。気が付いたらあっちの世界という事は勘弁して欲しい。

 まあ、うまくいった感じなのでよしとしよう。

「ん? 雨はあがったのか?」

 先ほどのヒイロの疑問を、レオが言った。手のひらを上に向けると、天を仰いで空を見つめる。

 ヒイロももう一度見上げてみるが、あの間隔にいきなり晴れるという事はまず、ない。第一、地面が濡れていないというのが、ここが先ほどから晴れているという証拠。

「ヘンな島ね〜、ここ。ほら、ヒイロもレオも上ばっか見てないで、行くわよ!」

「行くってどこに?」

「それがわかんないから行くんでしょーが!」

 言うが早いか、サッサと獣道のようになっている所へと歩いて行く。

 闇雲に歩くのは危険だとは思ったが、この際どこを歩こうが危険かもしれないと言う事には変わりないので、とりあえずレミーナについていく事にした。

 さすがに先頭を歩かせるのは危険なので、ヒイロが前を歩いたが。しんがりはレオで。

 しばらく歩いていたが、特に何かが起きたと言う事はない。周りには魔物の気配もない。

「……ん?」

 ふと、ヒイロは妙な事に気が付いた。最初この道は獣道だと思っていたのだが、どうも雰囲気が違う。獣道と言うヤツは、何かの生き物(まあ多少は大きい)が通った後で、普通は草木がなぎ倒されているものである。

 だが、先ほどからヒイロが歩いているそこは、少し違った。

 草木が避けている。

 植物は、ひなたの方へ葉を向ける性質がある。逆に言えば、日陰を避けるように茎が移動することがある。あくまで、ゆっくりと、風になびく程度の距離を。

 しかし、それはそんな生易しい避け方ではなかった。

 チロを踏もうとしたら避けられた、そんな感じだ。

 ヒイロは立ち止まって振り返った。

「どしたのヒイロ?」

「いや、ちょっとね。レオ、後ろを見てくれないかな?」

 ヒイロの立っている位置からでは、レオの後ろは見えない。

「後ろ? 後ろと言っても来た道があるだけでは……お? ……ない、な」

「あ、やっぱり」

 何がやっぱりなのかと聞いてくるレミーナ達に、ヒイロは今見た事を話した。

「つまり、進路が出るなら、退路は消えるんじゃないかと」

「ベタな発想だけどその通りね」

 うんうんとうなずきながらレミーナが返してくる。ベタは余計だが。

 とはいえ、確認した所で引き返すわけにも行かない。結局、道が開くのなら、それに沿って歩いて行こうということに決まった。理由は楽だから。

 つまり、これまでと変わらず、ヒイロ達は進軍を続けた。

 そして、歩くこと小一時間。 

 突如、視界が開けたと思うと、森を抜けた所に小さい広場があった。

 そして、その広場の中心に家があった。いや、丸太小屋とでも言うのだろうか。簡素な作りで、ただ雨風くらいはしのげる、そんな感じの小屋だった。

 辺りを警戒しながら近寄ると、小屋の周りをグルッと回ってみる。ふざけたことに入口がない。

「……なんなのかしら、これ?」

 なにって小屋じゃないのかな、と言いたかったが、実際ヒイロにもよくわからない。

 何となく、周りを見渡してみる。

 ひらけているとは言え、小さい円状になっている広場で、その周りは鬱蒼とした森だ。

 さっき通った道は、お約束のごとく消えている。ま、草が元に戻っただけだが。

 空は晴れていて、小鳥のさえずりさえ聞こえてくる。

 そして、レオとレミーナとルーシアがすぐ側にいる。

 なにかが違う。

 他の三人に背を向けると、ヒイロは額に手をあてて考え込んだ。

(なにが違う? レオ、レミーナ、ルーシア……ルーシア? そう、ルーシアだ)

 振り返って、ルーシアの姿を確認する。

 ルーシアはいた。なにかヒイロに喋り掛けている。

 だが、声が聞こえなかった。レオとレミーナはその声に反応しているようだが、ヒイロにはなにも聞こえない。それどころか、ルーシアの顔が見えなかった。

(……いない? ああ、いないんだ……)

 ルーシアはいない。

 そう決断すると、ヒイロは小屋へと向かって駆けた。

 他の者が止める暇もなく、剣を振り下ろし、小屋に入口を作った。そして、振り返りもせずにそこに飛びこむ。

 そこに足場は無かった。しかし、下に落ちるというわけでもない。

 不安定に、空を漂うような感覚。周りが歪んでいる様にも見える。

 その歪みが一点に収束し――ヒイロの意識はそこで途切れた。

 

「ホントに……強いですね……」

 海竜を相手に、ミルは呟く。

 先ほどから立つ位置は動いていない。実際、戦闘時には司令塔となる所なのだから。

「その見かけの半分でも力が出れば脅威だと思うのですけど……あなたは半分どころか、その見かけ以上の力を出していますからね……」

 そして、海竜の目を見据える。

 心なしか、それはお互い様だと言っているようにも見える。

 二つの巨大物質は、嵐を気にせず、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 ワイヤーで海竜と〈ミルフィーユ〉は繋がれているのだが、ワイヤーが当たったコトによる海竜へのダメージは、ほとんどないと言っていい。だが、幾多のワイヤーは、海竜を捕らえて離さない。

 そして、海竜もそれを引き剥がす事はできないと考えたのか、こちらへの直接攻撃を仕掛けてきた。体当たり、至近距離によるブレス、尻尾による打撃、ほとんどが普通なら一撃必殺のものである。

 だが、ミルはその攻撃を、『耐える』のではなく、『避けて』みせた。

 その船の外観からは予想もつかないほどの小回りで、相手がワイヤーを引く反動、船がワイヤーを巻く反動、そして嵐による波を全て利用し、ことごとく攻撃を避けている。

 まさに、神業といっても過言ではない。

 だが、このまま守る一方では、いつか攻撃を受けるのは必死。

 しかし、それでもミルは余裕の表情を崩さなかった。

「なるほど。竜というよりは……巨大なウミヘビ、ですね」

 巧みに船を操りながら――もっとも傍から見れば彼女が動かしているかは判らないが――相手の攻撃から、相手の形状そのものを割り出す。

 海竜は、アルテナの四竜達と同じ形を取っている訳ではなかった。ミルの言う通り、どちらかといえば、ウミヘビの如くの形状をしている。もっとも、その巨大な鱗は紛れもなく、それも破壊を象徴するような『竜』を思い起こさせるものがあった。

 しばらく攻撃を避けながら、雲の様子を見つめるミル。

「それでも、やはり海洋系……ならッ!」

 その言葉と同時に、天を仰いでいる砲台から発射音が聞こえた。やはりそれもワイヤーを打ち出している。

 先端は空に向かって、ぐんぐんと伸びている。そして、その勢いと重力が相殺される瞬間。

 閃光と轟音とともに、そこに雷が落ちた。

 魔法ではない、言うなれば天然の。

 その電撃は艦をつたって、海竜を繋いでいるワイヤーから、そのままその相手へと流れ込む。

 吼えない、が、さすがにこれは効いたのか、海竜は動きを止めた。

 だが、その目はまだ死んでいない。二つの双眸は今だなお光を失わず、こちらを見つめている。

「骨を断たせて骨を断つなんて……我慢したもの、勝ちですね」

 先ほどのような落雷による攻撃というのは、ほとんど自殺行為に等しいだろう。

 それでも、船事体はそう壊れていない。回路はいくつか損傷したようだが。

 ミルは、自分の体が少し揺らいでいるのを自覚した。

 船の出力が下がるのが、音で判る。

 ミルはそのまま、何も仕掛けない。銀の瞳で、目の前の赤い双眸をじっと見つめている。

 海竜も止まったまま、こちらを見返しているだけだ。

 その間だけ、嵐が収まったかのように雨も風も穏やかになった。

 一陣の風が、ミルの着ているローブをはためかせる。髪もそれに従い、風に撫でられるがままに宙を泳いでいた。

 しばらくそのまま、時が過ぎた。

「なにか……」

 やにわにミルが口を開いた。独り言にも聞こえるが、その口調は海竜に対して話しているものだった。

「そう、なにかあなたと同じものを感じたことがあります。なんのことはない、以前感じたゾファーと同じですね、あなたは。ただ、遥かに悲しみが多いとは思いますが、ね」

 そこまで言うと、再び黙って海竜を見つめる。

 クウウウゥゥォォォオオオオ!!!

 言葉が解っているのか解っていないのか、巨大な咆哮を上げると、黒い影は再び船に突進してきた。

 その叫びに、その瞳に、ミルは深い悲しみを見出した。何に対するものであるか、それは解らない。

 或いは自分の存在に対するものであるかもしれないし、或いは自分の役目に対するものかもしれない。また或いは、ここにはいない何かを想って、その悲しみがあるのかも知れない。

 その姿が自分と重なった時、ミルは決断した。

「機関出力、最大……〈ミルフィーユ〉発進」

 そう呟くと、再び船が低い唸り声を上げた。それは時を待たず、激しい轟音と化した。

 ワイヤーが激しく巻かれ、船が急発進する。

「全動力、推進力へ変換……これで、最後です。決着を、つけましょうか」

 速度に乗った船は、もはや止まる事を知らない。

 向かってくる黒い影もまた、止まる事を知らなかった。

 そして、二つの超質量が交差する時。

 辺りを震わせる音ともつかない響きと共に、海が割れた。

 

 ここは暗い。どこだろう? と、周りを見渡してみるが、なにも見えない。

 歩こうにも、下に地面の感覚がなく、ふわふわと浮かんでいるようだ。

 手と手を打ち合わせてみる。しかし、音は鳴らない。

 見る事ができなければ、聞く事もできない場所。それでも体は動く。

 だが、なにができるわけでもなく、ただ待つ事にした。

(ここは一体どこなんだろう?)

 声に出して言ったつもりだが、自分の声さえ聞こえない。

 それは構わない。現時点でそれで困ると言う事はないからだ。

(僕は確か……?)

 何をしていたのか、記憶がない。何かに飛びこんで、それから――。

(……ん?)

 ふと首を動かすと、青い光が見えた。淡い光を放ちながら、それが漂っている。

 近くに寄ってきたので、手を伸ばしてそれをつかんでみる。

 手のひらに収まったそれを顔の近くに持ってきて、手を開いてみる。

『……ヒ……ロ……』

 頭に直接響くような声が、聞こえてきた。もっとよく聞こうと、意識を集中させる。

『お……ねが……ヒ……ロ……ま……して……』

 聞いた事のある声だ。綺麗で、優しくて、暖かな声。途切れ途切れに聞こえるその声は、何か切羽詰まったようにも聞こえる。

 誰? 誰? 誰? だれ? だれ? ダレ? ダレ?

 気持ちが回る。思いと想いが交錯するようで、頭が痛い。

『おね……が……い……目を……して……』

 少しずつ、声がハッキリしてきた。誰かを呼んでいる。

 何か、以前にもこういう事があったような気がする。そう、あの時も確か自分が倒れて――。

(僕が……倒れて?)

 自分は今ここにいる。なら、何を心配することがあるのか? ……心配?

 そう、あの声は心配している。何を? 僕を? なぜ?

 もう一度、声に意識を傾ける。

『ヒ……イ……ロ……ヒイ……ロ……』

 ヒイロ? 誰? 僕? 僕は――ヒイロ?

『おねが……い……ヒ……イロ……目を……さま……し……』

 ならこの声は? 誰? 僕はヒイロ……ならこの声は?

 その時、手のひらの光が、淡いながらも強い光を放った。

 そして、その光の中に一人の少女を見た。その瞳は、真っ直ぐにこちらを向いている。

『お願い、ヒイロ……目を、覚まして……』

(ル……シア? ……ルーシア……!)

「ルーシアッ!!」

 叫んでいた。

 それは、自分自身にもよく届く叫びだった。

 光が大きくなり、身を包んでいく。そして光はいずこへかと、その身を運ぶ。

 その流れに身を任せ――いつしか自分はそこにはいなかった。

 

   ***

 瞼に落ちてきた水が、目を覚まさせた。

 もしかすると、さきほどから続いている雨の音のせいかもしれない。

 うっすらと、目を開けてみる。

 最初に視界に入ったのは、自分の顔を覗き込んでいる一人の少女の顔だった。

「おはよ、ルーシア」

「おはよう、ヒイロ。ふふっ、これで今日二回目ね」

「ん? あ、そう言えばそうだね」

 そう言って、二人で微笑む。

 目を動かして周りの様子を見てみる。首を動かしたくないのは、単にルーシアの膝枕からどきたくないからである。

 洞窟のような所だった。声の反響音からして、あまり深くはなさそうなので、浅い洞穴とでも言った方が当たっている。出口の光が向こうに見える。雨の音も、そちらから響いているようだ。

「えっと……僕はどうしていたんだっけ……?」

「眠っていたのよ」

 膝に乗せているヒイロの頭を優しく抱えると、ルーシアはそう言った。

「そ……っか。なら、起きないとね」

 そう言って上体を起こすと、改めて周りを見やった。

 当たり前だが、先ほど見たときとそう変わらない。感じたことと言えば、地面が平らなことくらいか。

「でよっか?」

「ええ」

 そう言って二人は立ち上がると、出口を示す光が輝いている方へと歩いて行った。

 洞穴を抜けると、ごつごつとした岩肌の地面が広がっていた。雨は激しく降り注いでいる。

 体は濡れるに任せ、所々にできている水溜りを適当にかわしながら、今いる場所の中心へと向かって行く。いや、中心だと感じる方へと、向かって行く。

 ルーシアの手を引いたまま、ヒイロは歩いた。しばらく歩を進めると、足を止める。

 周りに変わったところは見受けられないが、ここがその場所だと、ヒイロは感じた。

「ここだね」

「どうするの?」

「こうする……のさッ!!」

 剣を両手で逆手に持つと、ヒイロはそのまま剣を地面に突き立てた。

 半ばほどまで埋まった剣を手から離すと、ヒイロは少しそこから距離を取った。

「こういうことさ。わかるかい、ルーシア?」

「……ああ、そう言うことなの。わかったわ、いきましょう、ヒイロ」

 そして、二人は同時に言葉を発した。

『女神アルテナの名のもとに――』

 言葉が力を成し、力が大気に収束していく。

 収束した力は、対象を求めるべく次の言葉を待つ。

『――魔剣よ!!!』

 その命によってはじき出された魔力は剣へと伝わり、剣へ伝わった魔力はそこで形を成す。

 剣から現れた力が、空間を裂いた。放電しながら開いた口が、全てを飲みこもうとあぎとを向ける。

 それより速く剣を手に取ると、その周りに障壁が展開された。

 球状に展開された障壁が浮いたかと思うと、そのまま空間の口に吸い込まれていく。

「さてと、無事に戻れるといいけど」

「大丈夫よ、戻れなくてもヒイロがいるもの」

「…………」

「どうしたのヒイロ? 顔が赤いわよ?」

「い、いや、なんでもない……うん、大丈夫、きっと戻れるって」

「そうね」

 歪みの中を進むそれは、ふらふらしながらも、着実に目的に向かっているようだった。

 周りの揺らぐ景色が、自分達を運んでいるようにも見える。

 そして突然障壁が消えたかと思うと。

 ヒイロとルーシアは、海に落っこちた。

 

 自分の意識があるということは、まだ船は生きているという証拠。

 ミルフィーユ、対戦闘用思考プログラム解除。

「自分で言うのもなんですが、しぶといですねぇ……」

 損傷率98%超過。戦闘続行不能。航海続行不能。自己修復不可。直ちに帰還せよ。

 危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険、危険。

「だからどうしたと言いたいんですけど……」

 はあ、と溜息をついて、ミルは先を続けた。

「航海続行不能で、どうやって帰れって言うんですかぁ? そもそも、損傷率98%超過の時点で、普通全部無理だと思うんですけど……」

 もはや原型を留めていない船の残骸の上に座ったまま、ミルはたそがれていた。

 嵐は収まり、先ほど衝突した海竜も、前方に見えた島も見えない。

 海竜は衝突した際にどうにかなって、島は彼らがどうにかしたんだろう、と思う。

「しかし……皆さん見えませんねぇ……」

 島は消えたのに、肝心の彼らが見えない。

 もしや島と一緒に消えたのでは……などと思っていると。

 ザッパーン。

 上から人が降ってきた。世の中不思議なこともあると思って見てみると、案の定、それはヒイロとルーシアだった。

「おかえりなさ〜い☆」

 じゃぶじゃぶと側の残骸を掴んでいる二人に、のんきに声を掛ける。

「あ、ミル、ただいま」

「ただいま、ミルさん」

 そう言って二人は残骸の上へとのぼる。

「ミル、船はどうしたんだい?」

 やはり、わからないだろう。服の端をしぼりながら聞いてくるヒイロには、今立っている物こそが船の欠片と言うことには気付いていない。

 という事で、教えてあげた。

「ヒイロさんがぁ、今乗っているやつですぅ☆」

「え……これ……まさか……!!」

 自分が乗っている物を見て、ヒイロは愕然としている。

「いやあ、少しばかりハデにやってしまいましたからねぇ★ もう少しでぇ、私も消えそうなんですよぉ……」

 そう言った意味がわからないのか、二人ともしばらく目をパチクリさせていた。

「要するにぃ、さよならですねぇ」

 それでもしばらく首を傾げていたが、やがて彼らも納得したようだった。いや、納得せざるを得なかったのだろう。

 自分の姿がブレているのが、自分でも判るのだ。

「でもねぇ、まだこうやってココに在るっていうのは、ほとんど奇跡的なんですよぉ。わたしの基礎になってる部分がぁ、多少なりとも被害は免れたんでしょうけどねぇ」

 説明するが、これにはやはり二人ともよく判らないようだ。

 無理もない。そう言っている本人にしても、よく判っていないのだから。

 ミルフィーユ、対戦闘用思考プログラム……起動。

 右の手のひらで顔半分を隠すようにすると、ミルはヒイロ達に話しかけた。

「時間がありません。まず、島がどう言ったものだったのか、教えてくれませんか?」

 こうでもしなければ、自分は何も聞くことが出来ない。

「え? あ、ああ。えっと……あれは、一種の人の心を映す鏡……って言うのかな。その鏡の中はこちらとは少し違っていて、いつの間にかその鏡の中に僕は入っていて。でも、鏡の中だから、自分が鏡の中にいることには気付かなくて、えっと……ルーシア、タッチ」

「別次元に在る物……有り体に言えば、ヒイロは鏡を割ったのよ」

 充分だ。

「鏡、ですか。なるほど、島も泣いていたんでしょうね」

 そして海竜も。そう思う。

 プログラム強制終了。標準モードへ移行。

「あ、時間切れですぅ☆」

 いつもの表情にもどって、ミルはあっけらかんと言った。

「やっぱり、長い時を一人で過ごすよりぃ、短くても皆さんと一緒にいるほうが楽しいですねぇ☆」

「ミル、治すことは出来ないのかい?」

「治すとか言う以前にですねぇ、もう壊れてここに無いんですよぉ、ホントは。なんて言うか、判りやすく言うなら心臓はとまっているけど、気合で話しているというか」

 我ながら、メチャクチャな例えと思いつつも、ミルは自分の体が薄くなっていくのを感じた。

 しんみりする間も無い、かな。でも、泣き虫にはちょうどイイかもしれないね。

「あ、そろそろ消えますねぇ。ルーシアさん、もういちどぉ、一緒にお茶が飲みたかったですねぇ☆ それじゃあ、わたしの事忘れないでくださいねぇ☆」

 ヒイロ達が何かを言う暇も無く、ミルはその場から消え去った。

 そう、性急過ぎるほどに、性急に。

 後に残るはヒイロとルーシア。二人とも、今の出来事が整理できていないのかもしれない。ただ、目を丸くして、今しがたミルが消えた場所をただ眺めているだけだった。

 

 

 〜後日、ルーシアお茶のひととき〜

 ルーシアはお茶を飲んでいた。

 そういえば、ミルさんもお茶が好きでしたっけ、などと思いながら。

 あのあと、レオとレミーナがヒイロ達と同じように宙から降ってきた。もっとも、出てきた場所は違ったが。

 二人とも、それぞれいた場所は違ったらしいが、突然体が浮いたかと思うと、海に落ちていた、と言う事らしかった。

「もう、ワケがわかんないわ。なにがどうなってたのよ?」

 とは、レミーナの言い分。おそらく、島が消えた影響で向こうを叩き出されたのだろう。

 ヒイロとルーシアが行なった事は、島を消したという事に相当する。

 海竜は、わからない。ただ、『島も泣いていた』という、ミルの言葉が気にかかる。

 彼女がなにを思っていたのか、今になってはもう解らない。

 出会った時はとても泣き虫で、その後はいつも明るかった。最後に別れる時まですら、彼女は笑っていた。悲しくないのではなくて、笑った顔を覚えて欲しかったのかもしれない。

『忘れないでくださいね』

 最後のその言葉は、やけに切に響いた。そう感じたから。

 あの島が出てきた理由――そう、理由なんてないのかもしれない。

 あれが心を映す鏡なのならば、海竜は星の心を映していたのだろう。

 少なくともルーシアはそう思う。

 島は星を映し、それは海竜を生み出した。常にあの周りが嵐だったのは……やはり、ミルの言うように、島が泣いていたからかもしれない。

 悲しみを映す事により存在したもの。

 それが海竜なら、ミルはひょっとして望んでこの世から消えたのかもしれない。

 しかし、全てはルーシアが思った事。本当の事は、彼女に聞いてみないとわからない。

 ただ。

 彼女は面白かった。そして、何かヘンだった。それでいい、と思う。

 忘れなければ、彼女は心の中にいる。それでいいんだと。

「もういちど、一緒にお茶を飲みたかったですね」

 そう言うと、目を細めてルーシアはお茶をすすった。空になった湯のみをテーブルに置くと、海のほうを向く。

 海を眺めると、ルーシアは静かに歌を歌い始めた。

 

 歌声は風に流れ、風は果て無き水平線を追い求める。

 

 その先にあるものはなにか、ルーシアは知らない。

 

 ただ、彼女にその歌が届くと信じて、ルーシアは歌い続けるのだった。

 

                                ―終―

 

 “あとに書くからあとがき”

 あとがきを書きたい。でも、そんなんいらんといわれたらそれまで。

 ともかく書こう。

 小説をネタから書きます。簡単な事です。

『王道って言ったら、大きいもの 対 大きいもの だよね』

 ネタ。チガウ。なんかチガウ。

 そのつもりだったのに。とりあえず、対象として海竜なんか出してみたのに。

 そもそも、ネタが大まかすぎた。これでは終われない。

 仕方ないので、最後はルーシアを使ってしまった。まあいいか。

 あと、出番ない人達がかわいそうで。いや、出したところで書ききれないけど(ヒデェ)。

 成り行きで3部編成になってしまいましたが……気にしないで。

 ええ、殆どうやむやにしましたとも。でもそれはね、読む人に考えてもらいたいな〜って言う心の現れで。

 ウソくさいけど信じて。

 

 ではまあそういう事で、よかったら感想などを一筆書いてくれたらなぁ、と。

 文句でもイイから、さ。

 では、そうゆーことで。






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