ホクトは池に落ちたのか

 憩いの間にある池。ホクトは自分の記憶がこの池に落ちる前あたりから失われているらしいという。
 しかしプロローグを確認してみると、この池に落ちる、というか飛びこむシーンが存在するのはホクトが救護室へ運び込まれた後。
 これは不自然である。具合が悪くなって救護室で寝かされている筈のホクトが起き上がって池まで移動するのもおかしいし、あの池は海へと直接繋がっているのだから、落ちてそのまま海底へ向かって沈んでしまってただで済むはずが無い。それに何故海に沈んでからすぐに少年視点を開始する事が可能なのか。

 夢だった、とも考えられる。しかしここはあのシーンをブリックヴィンケル自身が一人歩きしていたのだと考えた方が自然だろう。
 実際救護室へ運び込まれる前に意識だけが勝手にさまよいはじめたかのような描写が存在する。ブリックヴィンケルは実体を持たないようなので、この描写における「意識」とは彼の事だったとしても不思議は無いと思う。
 そして全く光の差さない暗い海の底とは境界線の無い場所を暗示しており、ホクトと重なりかけていた事を恐れた彼は「そこ」に飛びこむ事によって本来の、誰でもない、感情の無い、純然たる観測者でしかない自分へと戻ろうとしたのではないだろうか。
 だがその寸前で「このままではいけない」という事に気がつき、本編へと話は進んだのではないだろうか。

 ちなみにプロローグでは武側にせよホクト側にせよ(  )で括られた文章が彼等自身の思考、それ以外のモノローグは観測者たるブリックヴィンケル自身の思考だと解釈出来ると思う。
 そう考えるとホクト側の視点において救護室に運び込まれた後に存在する、別の時間・別の場所での出来事を次々と目にするシーンでは、客観的に状況を眺めているだけだったブリックヴィンケルにも能動的な意思があわられ、それまではほぼシンクロしていたであろうホクトとブリックヴィンケルの思考が別々に動き出し、混濁していたという事がわかる。


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