■東の王国のお姫さま
例によって本編の何かを暗示している物だとは思うんですが……わかるようなわからないような。
東の王国=東京?
お姫さま=主人公? → 東京から来た圭一? なんて解釈をまず最初にしましたがはたして。
もしも鬼隠し編の大部分が圭一の被害妄想であるという仮説が正しかったとしたら、ふたつめのお話など首をはねられた小間使いふたり=レナと魅音で、首をはねた側であるお姫さま=圭一であるといった具合に重なるわけですが。
みっつめもまあ、圭一が騙されて(或いは誰かの言動を間違って解釈して)自滅した事を暗示しているとか。
ただ、圭一の事だとするとイマイチひとつめが何を暗示しているのかわからなくなる。
別の解釈としては、お姫さま=梨花。
こうすると、ひとつめのお話に関しては三人の求婚者=梨花が予定調和から逃れる為に求めた外部の協力者三人で、富竹さん、鷹野さん、そして赤坂さんだとするとそれなりに通るような気もする。
つまり、死んだふたりの求婚者が富竹さんと鷹野さん(鷹野さんはなんか生きてるっぽい気がするけど)で、城を去った求婚者が赤坂さん。
その求婚者が言う「存在しない宝」とは梨花が生き延びる手段を暗示する物で、赤坂さんは梨花の「予言」を聞いても彼女の身に迫っている危機的状況を信じなかった。つまり、元よりそんな状況ではないのだから「そこから抜け出す手段など存在しない」と思ったと。
で、みっつめのお話は梨花が殺されるに至る過程を暗示している物だと解釈できるかもしれない。
けど今度はふたつめが何がなんだかわからなくなるんですよね。
うーん、もうちょっと考えてみます。
■興宮小学校雛見沢分校
ここに登校する子供は、実は興宮の小学校に登校できない特殊な事情を持った児童であったようだ。てことは、圭一が統合失調症であるという仮説の裏付けになる可能性があるかも?
ちなみに本編ではそんな事情は全く語られていませんでしたが、まあ圭一が祟殺し編で自分が異常者扱いされていると知った際に激怒していましたからね。その辺を考慮しての事なのかも。
さて、そうなると気になってくる事が。
立ち絵の登場しないクラスメイトに関しては情報が少ないのでスルーするとして、主要な登場人物に関してはレナは転校前の事情を考えるとこの学校に通っている事に関しては納得がいく。
沙都子も過去を考えれば。今はもう居ませんが兄の悟史も、本校舎へ通えない事情として家庭の事情も含まれるのであれば不自然ではないかも。それなら梨花も同様かな……?
でも魅音は? 園崎の次期当主とされる彼女がこの学校に通う理由ってなんなんだろう。
■熊谷勝也失踪事件
夕方にたばこを買いに来たところをたばこ屋の主人が確認したのが最後、と。「たばこ屋」という要素が何かのヒントになるのだろうか……と色々考えてみたんですが。
そういえば暇潰し編で赤坂さんがあそこで電話をかけようとしてましたっけね。雛見沢では電話をかける事を可能とする数少ないポイントのひとつ。
ここで、暇潰し編にかなり近い歴史を辿った祟殺し編では、同日の夕方に入江診療所へ大石さんからの電話が入っていた事を思い出す。
ひょっとしてこの時大石さん、たばこ屋の電話を使ってたんだろうか。もしも大石さんが入江診療所にかけた電話と熊ちゃんがかけた(と仮定した場合の話ですが)電話の内容が同じであったのなら、それがどのような物であったのかが明かにされていれば何かがわかったかもしれないんですが。或いは全然関係が無かったとしても可能性がひとつ潰れて選択肢を絞り込むことが出来るんですけどねー。
■悟史失踪に関する手紙
折りたたまれた便箋に書かれているので日記の類ではないだろう。で、筆者は誰なのか。魅音と詩音、どちらが筆者であると解釈するかで以下のふたつのポイントにより事情が全然異なってくる。
・筆者の悟史に対する呼称は「悟史くん」
・筆者は悟史に「教室で」飛び掛られている
魅音だと解釈すると、魅音は悟史を上記のように呼ぶ事もあったという事になる。この場合、悟史に対する呼称によって魅音と詩音を判別する事が困難になる。
詩音だと解釈すると、「教室で」飛び掛られたという事が問題になる。この場合、詩音が何らかの用事で雛見沢の学校の教室に行った事があるという事になるのだろうか。
と、ここまで考えてふと思ったのですが、そういえば以前、公式サイトの製作日記に詩音は外様故になかなか謎に近づく事ができないとか、なんとか書いてあった事を思い出しました。
詩音は外様。逆に魅音は雛見沢の中心に限りなく近い位置に居る。そして両者は入れ替わっても気付く人はそう居ない。つまり、「教室で」飛び掛られたのは魅音と入れ替わっていた詩音だった、というのはどうだろう。
更に、綿流し編で梨花を園崎家におびき寄せる(梨花も承知の上だったかもしれませんが)効果を持った回覧版の手書き広告。こちらと筆跡を見比べてみたのですが、どうも同一人物が書いた物であるっぽい気がする。
まあ、私は筆跡鑑定の専門家じゃないのであまり説得力は無いかもしれませんが、でも幾つかの文字に着目して見比べてみたらクセが全く同じであるように思えたんですよね。
双子なら筆跡が一致するんじゃないかという意見もあるかもしれない。昔テレビで、生き別れの一卵性双生児が全く違う環境で育ちながら同一の特徴を持っていたという事例が扱われていたのを見た事がある。けど、別に一卵性双生児なら必ずそうなると生物学的に証明されたという話は聞かないし。
これらの事と、祟殺し編で詩音が見せた悟史への執着。綿流し編は詩音の復讐劇だったという可能性が濃厚になってきた?
またこの回覧版の手書き広告には、「先日の集会で好評だった」という一文がある。仮に詩音もこの時の集会に参加していたのであれば、醤油を口実に梨花をおびき寄せる事を考え付き、あの広告を書いた可能性も考えられるかもしれないなと。
さて、それはそれとして表題のこの「手紙」が誰に宛てられた物なのかですが……正直わかりませんが、しかし内容からして詩音の協力者であり、彼女同様(?)雛見沢の不可解な点に関して調査している人物(?)であるような気はします。
■過去の事件
オヤシロさまの祟りとされる過去の四つの事件に関する情報をメモしておきます。
>>>現場監督バラバラ殺人事件
・犯人の供述の不一致及び正当防衛の主張
→ちょっと嘘をついているようには見えないかも。酒盛りで酔っ払いすぎてたか、或いは酒に変なクスリでも混入され(アルコールと化学変化する可能性に関しては私は詳しくないのでなんとも言えません)ていた為に犯行当時の記憶が曖昧? うーん。
・警備体制に関して不審な点はなかったが、これは外部を意識しての物で内部のトラブルはあまり想定されていなかった
→その事を知っている人物が居れば……?
・週刊誌の記者が指摘しているように、完全犯罪を目論むなら穴がありすぎる
・園崎が意図的に起こした事件だとするなら回りくどすぎる
→敢えて回りくどい方法で、しかも事件が発覚しやすい穴だらけの方法をとった?
>>>白川公園転落事故
・悟史は野球の試合により同行せず、沙都子は事件当時眠っていたと本人談
・事件当時、沙都子以外に目撃者になりうる人物は存在しなかった
→沙都子の言葉は信用して良いのかどうか……?
・柵が改修されなかった理由は不明
→もしも新たな業者に園崎の息がかかっていたら……?
・事件現場の柵は地盤が緩んでいた為何者かが体当たりせずとも事故が起こった可能性がある
→つまり、場合によっては突き落とす役が居らずとも北条夫妻抹殺は成る可能性があったが故に、梨花の"予言"では「或いは事故と言えるかもしれない」という言い方をされていた?
地盤が緩んでいたのは前日の台風が原因。しかし計画的犯行であった場合、計画の段階でこれを考慮には入れていたとしても実際に台風が来るかどうかなど予知できた筈はなかったので、梨花は前述のような曖昧な言い方をしていた?
>>>古手夫妻変死事件
・神主が担ぎ込まれたのは入江診療所
→入江診療所がグルなら殺人事件であってもおかしくはないという事になる。
・司法解剖の申請はなんらかの圧力によって止められた可能性あり
→やはり園崎?
・妻はショックを受けてふらふらと病室を出ていった
→夫の死にショックを受けたという事なのか、それとも彼女は「オヤシロさま」を信じるようになっていたという事でもあるのか?
・ニセ警官の存在
・遺書は警察には渡っていない
→これまた何者かの計画である可能性が感じられる。
・沼底のヘドロに遺体が沈みこんでいる可能性も否定はできない
→本当にそうだとしたら、犯人にとって遺体が上がると都合が悪くなる理由があった?
・大石さんが遺書の内容に感じた違和感
→母の日記を読む限り、彼女は梨花に関して怖れを抱いているともとれる。娘を案じるような言葉がなくても不自然ではないかもしれないが……。
>>>主婦撲殺事件
・大石さんは悟史が怪しいと思っていた
・悟史は叔母の遺体を見てもあまり動揺せず
→実行犯かどうかはともかくとしてやはり悟史はこの事件に何らかの形で関与していた可能性が高いと思う。
・悟史にはアリバイがあった
→村ぐるみの口裏合わせ?
・真犯人(?)の自供は秘匿捜査指定を勘違いした署員により伝わるのが遅れた
→本当にこの署員のうっかりだったんだろうか?
・真犯人とされる人物は買収されただけ?
→確かに、不自然な死に方をしている気がする。
>>>総括
今回新しく得られた情報を加えて考えるに、全ての事件は長い時間をかけて周到に準備する事によって計画的に起こす事は出来なくはない物であると思える。あくまで可能性の上では。以前別のメモでも触れましたが、沙都子のトラップ講座にて述べられていた事柄を考慮に入れると特に。
また、最初の事件が意図的に発覚するように仕向けられているかのようにすら思えるあたり、やはり黒幕は「オヤシロさまの祟り」を演出したかったのだろうか?
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