アニメ涼宮ハルヒの憂鬱雑記(4)

 アニメ版涼宮ハルヒの憂鬱の感想とか。
 この辺は原作既読となっています。現在の所、原作の他のエピソードの重大なネタバレはありませんが、微細なネタバレでも気にする人にはあまりオススメしません。

 ※更新した箇所は見出しを赤字表記してあります

 第十三話感想
 第十四話感想

 第十三話 涼宮ハルヒの憂鬱V

 ■管理人の爺さん
 声は青野武さんか。このアニメ、脇を固めるキャラに大ベテランの方がキャスティングされる事が多いですね。収録現場は若手の人たちが大変なことになってそうだと勝手に妄想した。
 ちなみにミステリックサインでキョンがハルヒに対して「お前はその手をよく使うなあ」などという言葉をかけていましたが、あれは予想通り飛ばされたこのエピソードに由来していたというわけなのでしょう。

 ■コンビニ袋をさげて帰ってきた長門
 時系列上では今回よりも後の話になる、孤島症候群にて披露してくれた高速で移動する箸の軌跡によって形成したトライアングルは、今回のこの場面から察するに普段の彼女は本物のご馳走とは縁遠かったが故だったのだろうか? そういやレストランでもなんだか黙々と食べ続けていたような。
 いわば雑なごはんしか知らなかったところ、士郎のごはんによって美食家として(そして健啖家としても)目覚めたセイバーのごとく。
 ところで長門って一日一食、夕飯のみしか食べないんだろうかね。昼は部室で本読んでるし。
 基本的に省電力モードみたいなキャラだからそれでも足りるとかいう事なんだろうか(笑)
 ちなみに今回の長門の出番はここだけなので量的には少ないが、しかし貴重な場面が見れた気がして質的にはおいしかったと思ったのでありました。
 無論ハルヒの質問に対してゆるゆると首を横に振ったり縦に振ったり、眼鏡の話題になるやキョンをじーっと見つめたりする所も良い。そして長門が視線にこめた感情に気付けないキョンが見ていてもどかしい。
 彼女の表情を読み取る事に関する専門家として経験をつんだ未来のキョンだったら、この時の長門の表情をどう読んでいたか個人的に気になるところである。

 ■ハルヒの独白
 小学生時代、野球場を訪れた際に感じた事柄を語るハルヒ。その内容に関して読み解くにあたって重要になるポイントとしては、オンリーワンとナンバーワンの違いだろうか。
 言うまでも無くハルヒはナンバーワンを欲したのだ。「世界」の圧倒的な規模を見せ付けられたが故に、自己が認識していた主観世界よりももっともっと面白い世界があるのかもしれない。
 結果自分の世界は色褪せたように感じたとの事ですが……それはナンバーワンに目がくらんで自分の世界がオンリーワンである事を見落としてしまったのだろう。

 私は過去にこんなエピソードを聞いた(或いは読んだのかな?)事がある。
 ある子供の話。そのエピソードにおいて登場していたのはどんな「物」だったのかは忘れましたが、それは特に大事なポイントではないので取り敢えず「風船」とでもしておきましょう。
 ある親子連れが居て、親が子供に風船を買ってあげた。子供は非常に喜んだが、しばらくして誤って風船を手放してしまい、買ってもらった風船は空へと消えてしまった。泣き出す子供。仕方が無いなともうひとつ風船を買ってあげる親。しかし子供は泣き止まない。風船の色か形が違うのが良くないのかと思い、なくした風船と同じ色・形のものを改めて選び直して与えてみてもまだ泣き止まない。
 結局何が不満なのか、イマイチ要領を得ない子供の説明をどうにか読み取ってみると、どうも「空に消えたあの風船」でないと駄目らしい。見た目が同じ風船はその子供にとっては同じものではない。その子供が欲しかった「風船」とは「先ほど親に買ってもらって嬉しかったという思い出のあるあの風船」だったのである。

 これは恐らく子供が幼すぎるが故に、概念をグループ化して認識する能力が未発達だった事が原因なのかもしれない。私たち大人だったら大抵の場合風船は風船でほぼ同列に見ると思います。「どこからどこまでが風船と呼べるものであるか」を知識・経験をもとに判別出来るからですね。
 しかし知識も経験も浅い子供にはそれが難しい。だから「風船」という概念が頭の中にない為「見たままのソレ」を「ソレを欲しがった自分と、それに応じて買い与えてくれた親というエピソード(思い出)」と共に認識していたのであり、それ故に親が改めて買い与えようとした風船を同列に見る事が出来なかったのではないかと思われます。この子供にとって、失った風船と「同じ物」はこの世の何処を探そうと決してあり得ないでしょう。

 そういえば以前、私は古泉の解説をベースにこの作品世界はハルヒによって模造されたようなものではないかと推測した事がある。原作を読み進めた今となってはその信憑性に疑問がありますが、作品世界の構造に関する真相はここでは置いておいて。
 前述の推測においてクローンの話を例として用いた。このクローンですが、AさんのクローンであるA'さんは、まるでAさんそのものであろうとあくまでA'さんであるし、逆にAさんがA'さんであるような事も無い。
 どんなに似ていようとAさんはA'さんの代わりになどならないし、逆もまた然りなのである。この件もまたオンリーワンの例えになりそうですね。

 さて、長々書いてしまいましたがここでようやくハルヒの話に戻ります。
 ハルヒはまさに風船の子供の例の逆で、知性が高すぎたのかもしれません。そして彼女が「色褪せてしまった」と感じた彼女の世界が、本当は彼女にとって唯一無二の貴重な物であるという事実を見失ってしまった。
 ハルヒは無数に存在する人間を見て、その人間それぞれの主観によって形成される世界(その人間の周囲の環境、でも良いかも)をどれも似たような物だと認識し、自分の世界もその中のありふれたひとつに過ぎないと考えてしまった。
 それはある意味間違いではない。しかし、あくまで「似たようなもの」であって「同じもの」では決してありえない。「自分の世界」は決して何か別のもので代替する事など出来ないのだという事をわかっていなかった。故に自分の世界は放置し、他の面白い世界を求めるようになり、それが彼女の中学時代から今に至るまでの奇行へと繋がるのではないだろうか。

 ならば彼女が平穏な人生を送れるようになるには……実際に彼女が望むナンバーワンを得るか、或いは自分の世界は既にしてオンリーワンであり貴重なものなのだという事に気付くかのどちらかが必要だという事になるのではないだろうか。
 キョンがかつて、「幸せの青い鳥」という話を知っているかとハルヒに問うた事がある。その時のキョンは宇宙人・未来人・超能力者が実在する現実からその言葉を発したわけですが、もしかしたら作者である谷川さんとしてはこの「青い鳥」の話をだしたのには、前述のオンリーワンに絡める意図もあったのでは、などと妄想してみたりもしたのだが……果たして?

 まあなんにせよ、子供ハルヒ可愛かったなあ(難しい話を書き連ねて作り上げた雰囲気をひっくりかえしてみる)。

 ■野球場での経験とハルヒの能力の関係
 時期的には宇宙人未来人超能力者が彼女に注目する事となるキッカケとなった三年前の彼女の能力発現は、恐らくこの野球場での経験より少し後なのでしょう。中学に入ったら〜と彼女も言っていたし。
 あ、原作未読だった頃に校庭落書き事件がそれじゃないかと書いた事がありましたが、それは外れちゃいましたね。
 話を戻しますが。ハルヒの能力には低い確率でしかあり得ない現象を都合よく引き当てるという側面がある事は、既にこれまでのエピソードからも想像に難くないと思われます。それだけが彼女の能力の全貌であるとは限りませんが。
 その、都合よく当たりくじを引き当てるような能力ってのが今回語られた野球場での経験と密接な繋がりがあるような気がするんですよね。
 物凄い数の人間を見て、彼ら一人一人に世界があって、その大半はありふれたものなのだろうけれど、もしかしたら中にはハルヒ的に面白い世界というのがあるのではないか。そして自分がそれに当たらなかったのは何故か。自分もその極僅かな「当たり」が欲しいと強く渇望したが故にああいった能力が発現したのではないかと思ったのだがどうだろう。
 そう考えると、SOS団結成のキッカケともなったキョンの「無いもんはしょうがない。人類は無いけど欲しいものは新たに創り出してきたのだ」というような言葉が大きな衝撃・発想の転換となったのも頷けますね。それまでのハルヒは「有るけど非常に少ない物」を引き当てる事を目指していたのだから。

 ■ハルヒにかける言葉が思いつかないわけ
 ハルヒの独白を聞いたキョンは、結局たいした言葉をかけてやることが出来なかった。考えてみれば、当然といえば当然なのかもしれない。
 非日常的現象を渇望して、その為に積極的に行動にでるハルヒ。
 同じくそれがあれば面白いなと思いながら、しかし諦めていたキョン。
 そんな自分の前にタナボタ的なカタチで舞い降りてきた、非日常。
 それが欲しいと熱望し、努力しても手に入らない人間を前にして、なんの努力もなしにそれを手に入れてしまった人間が、一体どのような言葉をかければ良いのだろう。
 実際にここでキョンがどのような事を考えていたのかは明言されていませんが、私はそのように解釈しました。

 ■行動に出るか、現状維持か
 キョンは非日常との遭遇に関して、本音では望みつつも諦めていた。つまり消極的な姿勢であった。
 「何に対して」という点では異なるが、消極的な姿勢であるという意味では、後に彼が遭遇した非日常そのものと言える人たちに関しても同様であるかもしれない。
 長門・みくる・古泉およびその三者が属する組織の主流な意見は、ハルヒに関しては現状維持の姿勢。彼女に関して何か積極的なアクションを起こす事がもたらす結果に関しては、予測不能であるが故の消極的な姿勢である。同じ消極的な姿勢であるとはいえキョンのそれとは少々そうなる理由が異なっているようにも見えますが。

 さて、ここで彼らとは対照的に「積極的な行動に出た」朝倉の言葉が思い出される。
 曰く、「やらずに後悔するくらいならやって後悔した方が良いだろう」と。

 ハルヒは自分の欲しい物に遭遇するために、周囲の常識的な視点から見ればけったいな行動ばかりをとっていた。
 キョンは非日常的世界を望む心は同じであれ、そんな行動はとらなかった。それはそもそも考えもしなかったからなのかもしれないし、仮に何かを思いついてもやった所で無駄であろう事は自明であると考えただろうし、どのような物であろうと非常識な物を求めての行動など、周囲の視線が気になるだろう。
 しかも結局無駄に終わる、つまり失敗した結果、恥だの後悔だのといった物が必ず付いてまわる。リスクが大きい。
 リスクを恐れての消極的な姿勢、という意味ではキョンも前述の三者も同じなのかもしれないなと。朝倉に言わせれば、彼らは皆「やらずに後悔する人たち」であったのかもしれない。
 どちらかが全面的に正しいという事は無いと思う。ただ、積極的なハルヒや朝倉、そして消極的なキョンたちという対比の構図が作り上げられているような気がした。

 ■ハルヒが孤立していったわけ
 今回古泉も述べているように、ハルヒは非日常を渇望しながら同時に常識的な思考をもちゃんと備えている。
 だからきっと、自分がこれまでにとってきた行動が一般人からみれば奇妙なものであり、どうせ自分を理解してくれる者などいないであろう事はわかっていたのかもしれない。
 ならばこちらからも拒絶する。そう考えるようになっても不思議はないかもしれない。
 彼女が孤立していったのには、彼女が非日常に出会う為に努力する結果として普通の人間との交流に時間と労力を費やすのを避けていたという事だけではなく、もしかしたら上記のような要因もあったのではないかとも思ったんですがどうだろう。

 ■ハルヒがキョンに心を開いたわけ
 そんな中、「髪型が曜日によって変わるのは宇宙人対策か?」と声をかけてきたキョン。
 キョンにしてみればほんの気まぐれだったらしいが、常識的な思考を持つ一般人ならハルヒにそんな言葉をかけることなど普通はないだろう。
 普通の友達同士なら冗談半分でそういう言葉をかけることもあるだろうけど、ハルヒの場合は当時そんな関係にある友人など居なかったわけだし。
 だからこの時のハルヒにしてみれば、もしかしたら自分と同じものを共有できるかもしれない人間が現れた、と感じたのかもしれないと思ったのだが、どうだろう。
 そして今回のハルヒの独白も、彼女がキョンの事を自分と同じであり、自分の味方だと思っていた事のあらわれだったのかもしれない。

 ■線路が暗示するもの
 ……そう思って自らの心の内、過去の体験を語ったのにもかかわらず、キョンはいつも通りのそっけない態度。きっとハルヒはかなりがっかりしてしまったのではないだろうか。長門の視線の意味にも気付けなかったし、今回のキョンはなんだか負けがこんでいるように思える。
 そして線路の向こう側へ去っていくハルヒから拒絶の意思を感じ取り、追いかける事が出来なかったキョン。
 「線路」という場所は言うまでも無く危険なので、気安く侵入したり渡ったりしてはならない場所である。
 一方ハルヒのイライラも臨界に達しているであろうから、この時の彼女に下手に接触するのと余計に怒らせてしまうおそれがある。
 「線路」の内側の危険性がハルヒの心情を、「線路」は危険であるが故に近付いてはならないと周囲の人間の心に働きかける精神的ブレーキがハルヒの拒絶の意思、つまりは心の壁を象徴した物だったんじゃないでしょうかね。
 わかりやすい暗喩なんで敢えて書くほどの事でもなかったかもしれませんが。

 ■管理人さんの言葉
 離すんじゃないぞという言葉のすぐ後での線路の別れ。なんとも皮肉な流れですな。

 ■タクシードライバー
 新川さんだよな、やっぱ。
 原作一巻目にあたる「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んだ際にタクシーのドライバーに関する数々の描写から、この人アニメの孤島症候群に登場した新川さんなんじゃ? と密かに思っていたんですが、その通りの絵に。

 以降この項ではこのドライバーが新川さんであったと「仮定」(あの容姿からしてほぼ確定なんじゃないかとは思うんだけど)させて話を続けさせていただきます。

 さて、前述の原作におけるタクシードライバーに関する描写、キョンが「意識の端っこ」で気にしている程度のものだったんですが、その「文章表現」がそのまんま「映像表現」に転化されているのが上手いですね。
 つまりあくまで画面構成上前面に押し出すことはせず、画面の端っこにさりげなく描くなどする事によって、視聴者の「意識の端っこ」にもドライバーの事が残るようにする。原作でキョンがそのように感じていたように。
 このアニメには原作におけるキョンのモノローグをそのままナレーションとして採用している箇所が多々ありますが、今回は敢えてそうする事なく同様の効果を視覚的に演出されたのが面白いなと思わされました。
 そう考えると古泉の人間原理に関する長々とした話などはあまり必要性がないとも思えるが、新川さんに関する伏線を描くためには必要だったといえるかもしれませんね。つまりメインは古泉の話に意識向けさせて、その一方でこっそり〜といった感じで。

 ところで孤島症候群にて古泉が「お久しぶりです」と彼に対して声をかけていたが、実はそれはキョンにとっても同様であったという事になるかもしれないわけで、アニメでは放送順が入れ替わっている事が面白い方向に作用している事の一例になるなと思った。

 ■閉鎖空間
 色褪せた、誰も居ない世界。野球場での体験以後のハルヒの心象世界そのものでもあるのかもしれないですね。
 誰も居ないのは、ハルヒにとって宇宙人でも未来人でも異世界人でも超能力者でもない普通の人間は、無価値になってしまったからであるという解釈もできるかもしれない。
 実際古泉が言っているが一般人が偶然迷い込むような事は普通無く、基本的にこの世界に存在する「人間」は超能力者のみである。

 ■閉鎖空間内における自動車の配置について
 ところで建造物はまだしも自動車までもが閉鎖空間に「入った時点」における外の世界での配置が反映されているっぽい。しかし閉鎖空間内においてその自動車は、外の世界における動きにリンクしてこちらでも無人ながら動いたりしてはいない模様。
 この件についてこれから書く事は揚げ足取りでしかないから触れないでおいた方が良いだろうかとも思ったのだが、古泉の人間原理の話からこの作品の世界観に量子論的な要素が組み込まれている可能性は高いと思うので、ちょっと自分の考えを書いてみる。

 さて、自動車の位置が「入った時点」で決定されるのなら、複数の超能力者がそれぞれ異なるタイミングで閉鎖空間に入った場合どうなるのだろう(実際には自動車に限らず動かない構造物とてなんらかの変化をしている筈だが、そういう微細なのは面倒なのでここでは考えない事にします)。
 タイミングが異なれば、自動車の位置も異なる。じゃあ、閉鎖空間内においては見る人によって同じ自動車でも位置が異なる事になるのだろうか。
 それとも一番最初に誰かが入った時点での閉鎖空間内における全ての自動車の位置が決定されるのだろうか?
 そうだとすると今回の話では古泉が一番乗りだったという事になる。後から誰かが同じ場所から入ってきても位置はあれで固定となる。

 まあ真相は上記のうちいずれか、それとも全く違ったパターンであるのかはわかりませんが、いずれにせよせよ今回の描写から考えるに閉鎖空間の内部の様子はそこへ入った時点で確定するという可能性は高そうな気がする。
 古泉の人間原理の話のように、閉鎖空間は何者かに観測されようがされまいが決まったカタチでそこに在るのではなく、そこに誰かが侵入して内部を観測した瞬間にそのカタチが確定されるのではないかなと。そんな事を思ったのでした。

 ■神人
 原作における描写よりも奇怪さが増した感じがしますね。人の形をしていながらそれを人の延長と考えるなら絶対におかしいと思える要素が増えている。
 アニメ版ではスライムのような何かが人の形に寄り集まっているだけという表現が当てはまりそうな感じなんですが、その点が大きいかもしれない。
 しかしそうでありながら、あくまで人体構造に則した動きをする。本当にスライム的なもののカタマリであるのなら自在に形を変化させられるでしょうから、そんなの余計な手間でしかないんですよね。こういった不可解な点、アンバランスな点が奇怪なイメージを助長しているように思える。

 原作を読んだ時に神人には人間のような形をしていながら全く異質な存在で、意思の疎通など不可能で、しかも圧倒的な破壊力を持つというみっつの特徴があると思っていたわけですが、アニメ版ではその内最初のふたつがより強調されている気がする。そして結果として遭遇時の恐怖感が増しているように思えた。
 何故なら普通に人間を巨大化させただけの存在であれば、もしかしたら実は前述の三点のうち最初の二点は当てはまらないかもしれない、などという希望的観測の余地があったかもしれないですし。

 人間のような形をしているのがまた逆に怖い。いっそ人間とは全く違った形、違った挙動を見せればここまで奇怪な印象はうけなかったかもしれない。
 例え戦闘能力が同程度だったとしても怪獣の類の方がまだ怖くはなかったんじゃないかと思うのだがどうだろう。人間ではない何かが人間のふりをして身近な世界に紛れ込んでいるという怖さの延長でしょうかね、今回テレビを観ていて私が感じたこれは。

 それからあれだけの大きさだと自重で立ち上がることすら出来ない、物理法則の範疇外、というような事を古泉は述べていた。
 そういやこの神人が暴れている時、その足元がどうにかなっているかのような描写はない。
 私たち人間サイズの物にとってはアスファルトやコンクリートは足場として充分すぎるほど頑丈なものですが、神人みたいな馬鹿でかい存在からみれば、泥沼の上にでも立っているようなもんなんじゃないだろうか。下手をするともっとひどい状況かも?
 しかし現実にはきっちりと下半身を踏ん張ってパンチなりラリアットなりを繰り出しているのだから、それを可能とする何か特別な要因が存在するのだろうか。
 或いは閉鎖空間自体、外とは異なる物理法則に支配されているのかもしれませんが。

 ■超能力者
 さて、アニメでは古泉の能力の、いわば本当の姿が初披露目となりました。
 カマドウマの時とは違って全身にあの赤いオーラのようなものを纏い、飛び道具を放つ、ではなくて自らの体を飛び道具とするかのような物が、本来の古泉たちの戦闘スタイルであるようだ。
 けれどそのカマドウマの時のようにアレを全部掌に集中した方が更に威力は上がるのでは、とも思ったのだが……しかし、総合的に見れば今回見せたような戦法が最も多くの局面に対応できると解釈すべきだろうか。

 何故そう考えたのかというと、まずアニメではキョンがその辺解説していなかったが、原作における説明によると赤い玉と化した古泉たちは、最初は神人に対して突撃してその体を貫通する事によってダメージを与えようと試みていた。
 が、途中で切り刻む戦法へと方針を転換する。恐らくはその方が効果的であると気付いたのだろう。
 さて、彼らは長い事神人退治を続けていたエキスパートたちである。その彼らが今頃になってその効果的な対処法を発見した、というのは少々不自然であると思う。確率的に絶対にあり得ないという事も無いかもしれないけど、そんな大発見があったのなら古泉も戻ってきた際にそれなりにその件について語るのではなかろうかと。
 ならば可能性のひとつとして神人は、外見は似通っていても性質が異なる場合がある……のだろうか? などと考えたわけです。

 もしもそうであると仮定するのなら、全身にオーラを纏って戦う戦闘スタイルは、生身をさらしている箇所が無い分安全であり、神人の予想外の攻撃に対して最も生存確率が高い形態であるとも考えられるのかも?
 あれだけの速度で動き回っているにも拘らず加速Gによる肉体へのダメージはまるで見られないあたり、オーラを纏った結果として全身の強度が人間のソレをはるかに上回っている可能性が考えられるかもしれないですね。

 他にカマドウマの時と違った戦闘スタイルである理由としては、あれだけのエネルギーを掌に集中させるのは困難であるという可能性も考えられるかもしれない。が、こちらの理由だったとすると神人退治の効果的な方法を今になって発見した(?)理由がよくわからないですね。

 ■超能力者と神人
 赤と青
 小と大
 複数と単数
 速さと力

 とまあ、比較してみると色々な対比の構図が浮かび上がりますね。ニキビに対するニキビ治療薬なだけに(笑)

 ■何故かわかるという機関の面々
 閉鎖空間を放置していたらどうなるかなどの諸々の事情について、「機関」の人達は何故かわかってしまうのだという。
 額面どおり受け止めれば、彼らは全員が「超能力者」ですね。古泉はその中でも対神人用の能力を持っていると。そういえば彼の能力は機関内では超能力ではなく別の呼称があるが、キョンに対しては超能力という呼称がわかりやすいからそれを使用している、みたいな事を原作では言ってましたっけ。

 ところで野球の時は閉鎖空間の発生に関して古泉の携帯に連絡が入ってましたが、これは何故なんだろう。彼は自分で察知できなかったのだろうか。或いはやはり発生場所に近い人間ほど察知しやすく、あの時古泉がいた場所は比較的遠かったという事だろうか。
 もしかしたら、この件を指摘するのは揚げ足取りになってしまう可能性も考えられますが……取り敢えず上記のような推測が無難な気がするものの、現時点では裏付ける情報は存在せず。

 ■エンディングクレジット
 ハルヒ(平野綾さん)の名前だけ孤立している。第五話の時ほどあからさまではありませんが、これも今回の話におけるハルヒの心情を表現した演出なのかもしれないですね。


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